ホフマン『ファルーン鉱山』のトルベルソン
E.T.A.ホフマンの短編『ファルーン鉱山』について。
『愛の一家』を読んだ時( http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20061126 )
同じ巻にこの短編が収録されていたので図書館に返却する前に読んでみたのである。
ホフマンといえば『黄金の壷』『砂男』が有名である。
昔、『ドラえもん』で、不眠の時に眠らせてくれる“砂男”という四次元道具が出てきたことがあり、*1これと同じじゃないか、元ネタはこれだろうか、と思ったものである。しかしその後ホフマンの『砂男』は読む機会がなく、確認していない。
就職浪人中に児童図書館で児童向け怪奇・恐怖小説シリーズというのがあり、そのシリーズで『黄金の壷』を読んだ。(金の星社/世界こわい話ふしぎな話傑作集11)
児童向け翻訳においても、その小説の不思議さ・不気味さを味わうことができた。挿絵が沢山入っていたので、それがかえって良かったのかもしれない。この『黄金の壷』で、ホフマンの小説の独特な世界というのが強く印象に残った。
それで今回、ホフマンの短編が載っていたので読んでみる気になったのである。
登場人物
エーリス・フレーボム……船乗りだったが鉱山で働くようになる
ウラ・ダールスイエ……ペールソンの娘。エーリスと愛し合う
ペールソン・ダールスイエ……鉱山の経営者で監督
トルベルソン……100年前に死んだ鉱夫
船乗りのエーリスは母親と2人暮らしだったが、航海中に母親が死んでしまう。船乗りの祭りでも楽しめず、暗く沈んでいると、ある老人から何処何処の鉱山で働け、と言われる。始めはその気もなかったが成り行きで働くことになり、熱心さが認められて鉱山の経営者親子とも仲良くなり、ウラと結婚することになるが……。
主人公エーリスを鉱山に導き、その運命を翻弄するトルベルソンなる鉱夫の幽霊が不気味であり、圧倒的な迫力で迫ってくる。
エーリスはトルベルソンの暗示に導かれるまま、場所も道筋も知らない鉱山に向かう。この時、トルベルソンが前方に現れたり消えたりして道案内を行うのである。『黄金の壷』で味わった不思議な描写を思わせる描写である。
その後しばらく現れなかったのであるが、ある時エーリスが鉱山の中で鉱石を掘っている時、人がいるはずのない所から鉱石を掘る音がする。誰だと確かめると、再びエーリスの前に現れるトルベルソン。
「この付近にはいい鉱脈があるが、お前には見つけることはできない」
「お前とウラは愛し合っているが結婚することはできない」
という2つの予言を残して消える。
顔面蒼白で地上に戻ったエーリスに先輩達が驚き、話を聞いてそれはトルベルソンの幽霊だ、と説明する。
昔この鉱山で鉱脈を掘り当てるのがうまいトルベルソンという鉱夫がいたが、ある日から鉱脈を言わなくなった。これ以上掘ると危険だからと言う。無理に聞き出して掘ったところ、大事故が起こってトルベルソン始め多くの鉱夫が死亡した。年に1回の鉱山の祭りはこの日を記念して始まり、それから100年続いているという。
やがてエーリスは鉱山の経営者親子と親しくなり、鉱山の祭りの日に娘のウラと結婚式を挙げることになる。そのような時、トルベルソンの声が聞こえてくる。
「お前達は結婚できない」
エーリスは鉱山に行き、トルベルソンと対決するために呼び出す。出現したトルベルソンの幽霊に向かって、これ以上付きまとうな、と命令すると、意外と素直に従い、祝福のために素晴らしい宝石を進呈する、と言う。結婚式の直前にこの場所に来ると見つけることができる、と言って消える。
果たして結婚式直前にエーリスがやって来ると、素晴らしいざくろ石が輝いている。それを掘り出そうとすると、落盤が起こってエーリスが下敷きになってしまうのである。
その後、鉱山の所有者は変わったが、鉱山の祭りは続けられた。
数十年後の鉱山の祭りの日、埋まって化石化していた死体が発見される。
この死体を見て、ここ数年来、鉱山の祭りの日に現れていた不思議な老婆が駆け寄る。
この老婆はウラのその後の姿であり、ウラはトルベルソンの幽霊に、鉱山の祭りに行けばいつかエーリスを見つけることができる、と言われていたのである。
ようやくエーリスの遺体を見つけたウラはその場で急死し、エーリスの遺体は灰になり、ウラの遺体はその灰とともに葬られる。
結婚式の直前に騙されて殺されるエーリスに、その相手のウラ。ウラはその後の人生も暗転し、死ぬ数年前からは鉱山の祭りをさ迷うことになります。この2人の運命は悲劇的です。
一体トルベルソンは何でこのような仕打ちを行ったのであろうか。
冒頭で母親を失ったエーリスは生きる希望もなくなっていた。そのエーリスの運命を気まぐれでちょっとばかり変えてやろうと思ったのだろうか。
生きる希望もなくなっていたエーリスに打ち込める仕事を紹介し、ウラという生きがいを与えることになったのだから、それまではいい。
しかし、結婚が決まって幸福感が絶頂となった時点で最後に足をすくうのである。
かなりひどくて残酷な仕打ちである。どういうつもりなんだろうか。
しかし、つきまとうトルベルンに対決を挑もうとするエーリスの行動は、ヨーロッパ的というのだろうか。
日本では古くから、敵を祀るという考えがある。
敵として滅ぼした相手を神として祭り、怒りを鎮めようとするのである。
この日本的な考えかたをもってすれば、悪霊となってつきまとうトルベルンを祀り、安らかに成仏させることはできなかったのか、と思うのである。生前のトルベルンは不本意な事故死をし、それゆえに今もこの世でさ迷っているのである。日本的な考え方からすれば、成仏させてほしくて出てきたと考えられなくもない。
そもそもウラと導き合わせてくれたのはトルベルンなのだから、縁結びの神なのである。
エーリスが対決を挑まず、トルベルンの成仏を試みていればどうだったのだろうか。
また、以前『宝のひょうたん』を読んだ時、一人で悩まず人に相談することで解決を見出すことができるかもしれない、と書いたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20061015
エーリスも結婚式を前にして一人深刻に悩んでいぶかしがられることが度々。この時、しかるべき人に相談して解決法を見つけることはできなかっただろうか。
文中には、相談しようとするとどうしても口が開かず、話せなくなったと書いていたので無理だったのだろうか。
私の職場に、近々結婚する人がいて、もしこんなことが起これば気の毒だと余計に実感します。しかしやはりあくまでも他人事で、自分では当分そんなことはなさそうなので、普通よりは現実感はありますが自分で切実に実感するという程度でもないという、微妙な感情でありますが。
エーリスもウラもその父親のペールソンも、そしてトルベルンも、皆運命に翻弄されて、最後は悲劇的に終わります。ホフマンの作品はこんな悲しい終わり方をする作品が多いのだろうか。もしこの作品の結末が、
「二人はめでたく結婚して幸せに暮らしました」
というものだったら、ダメなのだろうか。そんな風に終わればおとぎ話になってしまい、文学作品ではない、ということなのだろうか。
思えば、昔話・童話・おとぎ話といわれるものはめでたしめでたし、で終わるものが多いと思います。
一方、文学作品は悲しい終わり方をする作品が多いというイメージがあります。
荒っぽい分類ですが、めでたしめでたしで終わるのが昔話・童話・おとぎ話であり、悲しい終わり方をするのが文学作品だ、と言うこともできる?
このテーマについては、今後も考えていきたい。
そういえば手塚治虫の『ブラック・ジャック』に、鉱山で50年間生き埋めになって、生き埋めになった時そのままの若い肉体のまま眠っていた若者が、ブラック・ジャックに起こされた時、「何で起こしたのだ」と言ってみるみるうちに衰えて死んでしまう、というエピソードがあった。このエピソードはこの『ファルーン鉱山』を下敷きにしているのだろうか。
ホフマンは判事というお堅い仕事をしながら文学や音楽にも才能を発揮した、ということです。なかなか面白い人物のようです。
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ホフマン始めこのようなロマン主義の短編も面白そうで、今後も読んでいきたい。
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メルマガの総合学芸誌『市井のディレッタント』
*1:検索すると、出てきました。正式名称は“砂男式さいみん機”だそうです。