不覚にもつい最近、堺を舞台としたNHK大河ドラマがあったことを知った。
堺に住んで3、4年ほどになるが、今まで知らなかったとは。
その大河ドラマとは『黄金の日日』(1978年)である。
当時はそりゃあ盛り上がったでしょう、と上司に問うと、
「そうでもなかった」
ということらしい。
『八代将軍吉宗』の時は、和歌山ではちょっとしたブームになってましたで……と和歌山出身の私は思い出す。
当時の大河ドラマは、番組の終わりに舞台紹介のコーナーがなかった……といった問題じゃないようで。
堺といえば、仁徳天皇陵を始め、古代から歴史の舞台となり、織田・豊臣時代の自治都市、鉄砲、千利休など、歴史の町として小学校の社会の教科書からお馴染みの町であった。
また、通っていた小学校では、堺の泉北臨海工業地帯に毎年社会見学に行っていた。この泉北臨海工業地帯は、小学校卒業式の卒業生と5年生の間の呼びかけのフレーズにも使われていたくらい、記憶にこびりついている固有名詞である。
そんな風に、私にとって、堺といえば歴史の上でも工業の上でも有名な大都市であった。
ところが意外と堺の郷土意識は目立っていないような気がする。
「海が見えないからかもしれない」
と上司は言った。
ううむ、これは印象的なフレーズだ。負けました。
坂本龍馬は、海を見て、海の向こうに想いをはせた。
海や船を見ることで、ヒトは思索にふけり、外の世界について想いをはせる。それがまた、自分を見つめなおし、自分のいる世界を見つめ直すことにもなる。
かつて堺にも港はあり、そこで人々は海を見、海の向こうに行く船や海の向こうからやって来る船を見つめ、思索にふけり、外の世界や自分のいる世界について考えた。
そして、東洋のベニスと言われるほどの自治都市・堺を作り上げたのである。
そういえば堺も、浜寺の海水浴場があった頃までは観光地として、高級住宅地として有名であった。大浜の燈台は今でも堺のシンボルである。
この頃までは、堺には海はあった。
ところが、その海水浴場を埋め立て、臨海コンビナートが建設された。
堺の臨海工業地帯である。
これもまた、堺の名を全国に有名にし、付近の小学校の社会見学の場として小学生にまで名は浸透した。
しかし、堺からは海岸線は消え、港も海水浴場もなくなった。
堺の名を上げた臨海コンビナートの存在が、実は堺の郷土意識を低下させていた……とは皮肉な見解だろう。そんな前近代的な解釈は絶対に容認できない、と否定する方もおられるであろう。
私も強固に主張して工業を脱して自然に戻れ、と言うつもりはありません。
臨海コンビナートの建設も時代が要請した必要なものだったのでしょう。
ただ、海を見ることと郷土意識を結びつけた考えが非常に面白く、かつ理解できる考えなので、紹介してみました。
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音にきく高師濱のあだ波は 掛けしや袖の濡れもこそすれ (百人一首 一宮紀州)
浜寺物語
http://www.sakai.zaq.ne.jp/plaza_hoso/hamadera/new%20top%20page2_copy.html
浜寺公園 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%AF%BA%E5%85%AC%E5%9C%92
堺泉北臨海工業地帯 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E6%B3%89%E5%8C%97%E8%87%A8%E6%B5%B7%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%9C%B0%E5%B8%AF
堺市 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%B8%82
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