OLDIES 三丁目のブログ

森羅万象・魑魅魍魎を楽しみ・考える不定期連載ウェブログです。本日ものんびり開店休業中。

《梅原猛》縄文文化と日本文化

 新聞に毎月1回、梅原猛の「反時代的密語」という連載が掲載される。
 今月は26日に「なぜ、縄文文化か」というテーマだった。
 梅原猛を最初に知ったのは、かなり前の新聞連載「百人一語」であった。
百人一語 (新潮文庫) たまたま読んだそのコラムが深く示唆に富んでいたので切り抜いたら、その次の週も切り抜き、とうとう毎週切り抜くことになり、著書も集めることになってしまった。
 この方の連載が月1回でも読めるというのは、嬉しいものだ。
 この連載でも毎回興味深いことを書かれているが、今月は縄文文化について、3つのポイントを指摘されている。(⇒⇒)
   ◆
1 縄文文化は日本の基層文化である

 世界的に見て、小麦農業は、森を破壊して小麦畑や牧草地にした。そのような地域では森の神を殺すという神話が残っている。
 一方、稲作農業は、水を確保するために森を必要とし、森の神の崇拝を続けた。
 日本でも、弥生時代となって稲作が始まっても、山の神は生き残った。
 それは、田植えが始まると山の神が村に来て田の神となり、稲刈りが終わると山に帰って山の神に戻るという話に象徴的に表されている。
 縄文時代は1万年以上も続いたが、弥生以後は2千年程度しかない。
   ◇
 始めに縄文文化があり、後に弥生文化が入ってきた、もしくは生まれた、ということか。
 性格や体の特徴を縄文タイプと弥生タイプに分類する考えもあったような気がする。
 同じ日本人でも、縄文系と弥生系の微妙な差があり、ちょっとした異文化体験ができるとは面白いことである。
君は弥生人か縄文人か 梅原日本学講義 (集英社文庫)
日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系? (新潮OH!文庫)
   ◆
2 アイヌ文化は琉球文化とともに縄文文化の遺文化である

 長い日本の両端に、古い文化が残って進化を遂げたということで、これはよく言われることである。
 これで思い出したが、言葉の変化も中央から周辺に波及していくそうである。
全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)
 この項で梅原氏は、土偶についての仮説を提出している。
 土偶とは、死んだ妊婦の像であり、それは、土偶は異様な顔をしていること、土偶の腹に傷があることなどから導き出せる。
 アイヌ文化では、妊婦が死んだ場合、胎児を取り出して妊婦に胎児を抱かせて葬るのだが、その風習と土偶に関係があるのではないか、ということである。
   ◇
 死んだ妊婦から胎児を取り出すとはおどろおどろしい光景だが、そのようなことはよくあったのだろうか。確かに医学は発達していなかっただろうが。
 そして、果たして土偶は死んだ妊婦をかたどったものだろうか。今の時代に残っているということは、数もそれなりに作られたはずだろうし。
 土偶については色々な説もあるようで、宇宙服を着た人をかたどったものだ、という説もある。
   ◇
 そして縄文の世界観は、人も動物も本来同じもので、全ての生き物はこの世とあの世を無限に循環する、というもので、これは、人間だけが特別だ、とするバイブル(聖書)の思想よりはるかに動物にやさしい思想である。
   ◆
3 このような共存(縄文)の思想こそ21世紀以後の人類が帰るべき思想である

 科学技術を従来のような自然征服ではなく、自然との共存の手段とすることが今後の人類の文明の課題なのである。縄文文化は単なる過去の文化ではなく、未来の人類文化のあり方を教える文化でもある。

 確かに現在の国際情勢は、一神教による衝突が繰り返されている。
 以前、ある新聞が正月の社説で『千と千尋の神隠し』を引き合いに出し、これからは多神教の思想を生かそう、と書いて物議をかもしたことがあるが、それもまた面白い考えである。
 梅原さんは仏教についても示唆に富む考察をされていた。
日本文化論 (講談社学術文庫)
 縄文文化、仏教といった日本古来の哲学によって、国際情勢をどう考えることができるか。
 現実に政治を動かし得ない書斎派の人間にとって、哲学的に面白いテーマである。