「刀の時代は終わった。俺は姿形から入るんだ」
と洋装を披露する土方歳三(山本耕史)。それでいて、近藤勇局長(香取慎吾)の徹底抗戦策には賛成している。
惜しむらくは、ちょんまげや刀を捨てても、考え方は武士のまんまなこと。
だから戦の時代は終わったんやて。これからは法に則った言論の時代だ。
明治の世になってちょんまげの風習をなくすために桂小五郎改め木戸孝允が奮闘した、というのをNHKの歴史番組の紹介記事で読んだが(番組は未見)、土方のようにいち早く西欧方式を取り入れようとした者が新政府に入っていたらどうなっていたか。
日本人同士が争うのは外国を利するだけ、今は武力なしに日本人同士力を合わそう、という坂本龍馬が望んだようになっていたら。(⇒⇒)
「上様が後の世まで名君と呼ばれるためには、引退しかありません」
と言う勝海舟(野田秀樹)の献策を取り入れた徳川慶喜(今井朋彦)自身が戦を避けて引退してしまったのだから、近藤局長も松平容保(筒井道隆)も慶喜に従うべきだった。
その後の旧幕府軍と新政府軍の戦いがなければ、徳川慶喜の評価も今の様に定まらないものではなく、明らかに名君だと言われていただろうし、新選組の優れた剣士達も道場を開いたりと新しい道で活躍できただろうし、優れた藩と言われた会津の人材も新時代で活躍できたかもしれない。
ということで私は、無駄な負け戦はやりたくないという考え方をするのですが、それは人それぞれ考えはあるだろうし、時代的背景も考慮しなくてはならないでしょう。
◇ ◆ ◇
「どうしても戦わないといけないの」
と問う沖田ミツ(沢口靖子)に近藤局長は答える。
「いま戦わなければ薩長の世の中になってしまいます。」
「それではいけないの。みんなは幸せになれないの?」
「薩長は義のない戦を起こし、この世を意のままに動かそうとしている。人々の幸せを考えてのことではないのです。
そんな奴らに思うままにさせてはいかんのです」
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確かに一理あるとは思うが、しかし、幕府のこのままの存続(薩長と江戸で戦うこと)が人々の幸せを考えてのことなのだろうか。
「それではいけないの」と疑問に思うみつや「戦はいやだなあ」と団子を食べながらぼそりと言う沖田林太郎(日野陽仁)が一般的な庶民の考えだったような気がする。
しかし何かを背負って使命感を持ってしまうと、普通では考えられない過酷な選択をしてしまうのも人間心理だろう。
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近藤局長、薩長軍と戦うために勝海舟を訪れる。
最初、この勝の対応が、前回徳川慶喜を叱り飛ばしていた時の勝とあまりにも違いすぎるので、一瞬別人かと思ってしまった。
ひょっとしてブログで間違ったことを書いていたのではないかと心配したくらいだ。
本当に野田秀樹演ずる勝海舟は変幻自在である。
江戸を戦火から守りたい勝は、江戸を戦場にするという近藤の作戦を却下、新選組を甲陽鎮撫隊と改名して甲府へ追い払う。
近藤も私欲のための行動じゃなく、幕府や徳川家を思うが故の行動なのです。立派な忠臣なのだから、勝も捨石にするようなことはせず、理でもって説得してほしかった。その後の戦で、人命も含めどれだけの犠牲が出、無駄が出たことでしょう。
それにしても、山岡鉄舟(羽場裕一)は、清河八郎(白井晃)の時もそうだったが、傍で感服しているだけの地味な役回り。
今回の大河では、ワトソン役としての登場か。
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会津候が大切に持っていた力士の手形。何もばらさんでも。
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甲府行きの途中、多摩で歓待を受ける新選組。
近藤・土方・沖田にとっては故郷の人々との再会となり、重要な機会。
しかし、多摩と関係無い人にとっては、一刻も早く戦に向かわねばならない時のこの宴会。
永倉新八(山口智充)の心配も分かる。立場が違えば考え方も違う。
この宴会の際、近藤局長が徳川慶喜から「大久保剛」という名をもらったことが発表される。
大河ドラマ冒頭の配役表では、こんな名前ではなく、「近藤勇」として出ていたが。
それにしても、なぜ大久保?薩摩の大久保に対抗したのだろうか。
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その夜、かつての許婚・お琴(田丸麻紀)を訪れる土方。お琴の怒りは収まってはいなかった。
「新選組がもっとしっかりしていれば上様もあんなことにはならなくてすんだって、こっちではみんな言っています」
と冷たく追い返す。
こっちではみんな、って、どういうことだろう。あれだけ人がよさそうであれだけ古くから近藤達を支援していてあれだけ新選組を歓待していた多摩の人々が陰口を言っているとは?お琴の作り話だろうか。
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多摩の人々は、幕府の時代が終わるべきだと悟り、新選組を歓待して足止めさせていたのではないか、ということを、司馬遼太郎が書いているそうです。
http://d.hatena.ne.jp/sheep5/20041125
あまりにも深読みしすぎるのではないか、とも思いますが、深層心理では意識と反対のことを考えていて、それが行動に出る、ということもあります。
こういった多摩の人々の複雑な側面を、お琴の言葉として描いたのではないでしょうか。
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お琴の冷たい言葉にショックを受け、近藤局長を訪れる土方。
「俺たちにとって京の5年て一体何だったんだ」
「できることは全部やった。そのためには鬼にもなった。
だがそれが何の実を結んだ。
俺たちは結局世の中を引っ掻き回しただけじゃねえのか」
土方のように仕事に熱中しているタイプの人間にとって、仕事でやってきたことを否定されたのは辛いものだろう。
これが人間性を否定されるのなら、まだ良かった。仕事のため鬼になった、と思えば耐えられる。
しかし、全てを捧げてきた仕事について悪口を言われたのではこたえる。
人間、こういう時は、違うタイプ、違った物の見方をする人間のアドバイスになぐさめられる。
「そんなことは俺には分からない。
俺はただいつだって正しいと思ってやってきた。
そりゃ迷いもしたが最後は自分を信じた。
悔いはない。」
「俺たちは信じられないほど遠くへ来てしまった。もう後は先に進むしかない。
振り返るのはもう少し先に取っておこう」
と近藤勇は言い、沖田総司は土方に剣の稽古をつける。
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しかしこの土方と近藤の会話、身にしみます。
人間として生まれた以上、何らかの夢や希望というものがあります。
若い時に血気にはやって色々と挑戦し、奮闘します。
それでもし、結果が得られなかったとすれば、土方のように考えてしまうでしょう。
そんな時、近藤勇のように考え、思い直すのでしょうか。
ランチェスター戦略についてのメルマガを読んでいたら、企業の活動は、複数乱立の戦国時代から徐々に寡占状態に進んでいき、やがて寡占や独占の状態になっていく、と書かれていました。
競争の時代は、やがて一人勝ちの状態へと帰着していくようです。
一人勝ちなのだから、いくら夢を持って努力しても、多くの人は負け組に入ってしまいます。
土方のように嘆き、近藤のように自己満足するしかないのでしょうか。
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皆がナンバーワンを目指す社会ならば、それもありうることかもしれません。
しかしここに、オンリーワンを目指すという選択肢もあるのではないでしょうか。
『世界に一つだけの花』を歌ったのは、香取慎吾もいるSMAPだったでしょうか。
芸能界や歌謡曲についてほとんど知らない私でも、この曲くらいは知っております。
……ということで、長くなったので、明日に続きます。