A新聞の短期連載「昭和モノ語り」で、
便器 近代化、脱臭で頂点に
という記事があった。(4月14日)(筆者は吉村千彰とある)
こういった懐かしレトロの記事は大好きである。もう、毎日でも読んでいたい気分である。
「下」だから3回か2回シリーズだろうか。確か「帽子」を取り上げた回があって、かつて昭和時代の大人の男は帽子をかぶっていた、と書かれていて、確かにそうで面白い視点だ、と思った。
あと1回分はあったのかなかったのか。読まない新聞が大量にたまっていて、日付けに関係なく山からテキトーに取り出して読んでいるので時系列は滅茶苦茶なのである。
それでこの記事だが、便器の歴史について書かれている。ただ、男性小便用便器については書かれていなかった。
ちなみに私は座り小便派である。
(ウィキペディアによると、男性用小便器が日本に入ってきたのは20世紀になってからだという。)
日本の便所 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BE%BF%E6%89%80
便所 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80
しかし最近“べんじょ”とはあまり言われなくなっているのではないだろうか。
“鼻紙(はなかみ)”も“ティッシュペーパー”と言われることが多くなっているし。
コラムの目立つ位置に「つり手水」の写真が掲載されていた。
「かつてはトイレ近くの軒先などに手洗い用のつり手水(ちょうず)があった」
という説明文付き。
こんなの初めて知った。
『吾輩は猫である』などの文学作品でもこんなの使っているシーンはなかったような気がする(単に読み取れなかっただけかも)。
他、明治や昭和初期を舞台にしたドラマや映画などでもつり手水は出てきたのだろうか。
トイレの後に手を洗うシーンなどは普通は描かれないので盲点となりがちなグッズではなかろうか。
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大宰府市文化ふれあい館「市史だより」バックナンバー
●No.163 まるで美術工芸品のような吊り手水(手洗器)
http://dazaifu.mma.co.jp/fureai/sisidayori/no163.html
アマチュア無線 JH1RPV なかなか思い出せなかったつり手水(ちょうず)
http://plaza.rakuten.co.jp/jh1rpvkuni/diary/200704140000/
なお、“吊り”がつかない“手水”は「神社や寺院で、参拝前に手を清める水」ということである。神社や寺でよく見るあれは“手水舎”と言ったのか。
手水 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%B0%B4
そういえば昔見た落語で、朝、客から
「ちょうず使わしてくださらんか」
と言われた旅籠の亭主が“ちょうず”の意味が分からず、色々な人に聞いて苦労するというのがあった。
このコラムの締めくくりはこうなっている。
冷蔵庫、洗濯機、テレビと家電をそろえ、文化的生活を目指した成長期。平成の今、「昭和」は貧しくとも輝かしい時代で、そこに失われた良き日本があると懐かしがることが増えた。
だがそこに「におい」はない。脱臭化された記憶だけが語られている。
以前、『美化される昭和30年代』という記事について書いたことがある。
■[日々の哲学]美化される?昭和30年代
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20060507
この記事でも、匂いについて大きな要素として取り上げていた。
美化されている昭和30年代ブームについて苦言を呈す記事に対して私は批判的に取り上げたのだが、実際に昭和30年代に少年時代を送った上司の話によると、生きるのに精一杯の時代で未来のことは考える余裕もなく、今と比べると今の方がいい、ということだった。
未来に希望などと言っている余裕もなく生きるのに精一杯で、近所づきあいなどの人間関係が濃厚だったのも、当時は皆が貧しくて盗まれるものすらなかったからである。今人間関係が希薄になったのは、豊かになって守るものができたからではないか、ということだった。
やはり経験者の言葉は重い。
確かにそう言われてみればそうかもしれない。
一般庶民にとってみれば、いつの時代も生きるのに精一杯で未来に不安を持っているものかもしれない。
そして人生を振り返る境遇になって初めて「あの時代は良かった」と思うのかもしれない。
しかし客観的に見て、勝ち組一人勝ちの傾向が進み、非正社員化が進み、ワーキングプアが増え、人生設計を立てることが難しい現代は、誰でも一生懸命働けば独立したり年功序列で収入が増えていって人生設計が立った昭和30年代に比べて悲観的ではなかろうか。
そして昭和30年代には戦争の記憶もあり、曲がりなりにも戦争はこりごり、というコンセンサスがあった。“平和”という概念が今のように冷笑的に語られることもなかったのである。
戦争の悲惨さ・平和の有り難さを忘れつつある現代は、やはり昭和30年代と比べて悲観的な時代ではなかろうか。
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