OLDIES 三丁目のブログ

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彼は誰を殺したか〜嫌味な探偵(ネタばらし注意!)

『彼は誰を殺したか』浜尾四郎・作
 15も年下の妻をもらった喜びも今は昔、中条直一の夫婦仲には隙間風が吹いていた。そして妻・綾子には虫が付いた。今年大学にはいったばかりという綾子の従弟の吉田豊である。
 綾子はピアノを弾き、吉田はヴァイオリンを弾く。楽器を弾けない中条を尻目に二人は仲良く合奏したりなんかしている。
 
 これは厳しいシチュエーションである。中条の気持ちがよく分かる。私は結婚はしたことないが、このようなことになるのなら、最初から結婚なんかしないほうがましだ、と思えるくらいである。
 しかし吉田という男も嫌味である。ちょっとは考えんか。慎みとかマナーとかいうものがないのか。
 もし私が吉田のような立場ならば、夫婦仲を裂いてはいけないと考慮して訪ねるのを自粛するであろう。
 しかし、むきになってというか、かさにかかってあえて意地悪に訪ねたりして。人間、勝ち誇った時には残酷になるものだからなあ。
 だから私はこのような人間心理の修羅場の根源たる恋愛というものを避けたくなるのである。
  
 二人は特にベートーヴェンの「春のソナタ」を好み、頻繁に演奏した。

 彼は、「春のソナタ」を書斎の中でききながら幾度歯を食いしばったことだろう。
 彼は舌打をしながら、ベートホーヴェンを呪った。それ程、二人のすきな曲は、この奏鳴曲だったのである。

“ベートホーヴェン”とはすごい表記だ。
  
「ゴエテとはわしのことかとゲーテいい」
この川柳、私がまだ幼い頃、毎日新聞一面のコラムで初めて知った。出典はどこだろうか。
 それはともかく、ベートーベンの表記は“Beethoven”。“h”の綴りを重視して表記すると“ベートホーヴェン”となるので、このような表記もありだろう。
 しかし、ネット上でこの表記は少数派のようで、本日「ベートホーヴェン」を検索したところ、グーグルでは「約 96 件」しかないようである。*1
 しかしその中で健闘しているのが、この表記をタイトルに入れた以下の本である。
 

ベートホーヴェンの思い出

ベートホーヴェンの思い出

 
 
 何と、1995年発行の本である。今時このような古風な表記をタイトルに入れて発行するとはすごい。著者はドイツ語の専門家のようで、ドイツ語専門家としての意地を示したというところだろうか。
 しかし、語学や音楽関係の人名はこのような古風な感じのする表記の方が味が出る。

日本においては、クラシック界の作曲家は“バッハ”“モーツァルト”のように原語の発音で表記されることも多いが、ベートーヴェンの場合だけなぜか英語読みが一般的になってしまっている。ドイツ語では“Beethoven”は「ベートホーフェン」、一般的には「ベートーフェン」と読まれる。日本でも明治時代の書物の中には「ベートホーフェン(ビートホーフェン)」と記したものが若干あるが、程なく「ベートーヴェン(「ビートーヴェン」など異なった表記も含める)」が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった(唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である)。
  
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 より
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3#.E5.90.8D.E5.89.8D

 
 さて物語は、我慢の限界に達した中条が吉田を殺害する決心をし、吉田の死体が発見される。
 そしてその1年後、今度は中条が吉田の実兄である法学士伯爵細山宏氏の自動車に飛び込んで自殺するのである。
 
 事件を担当した大谷検事は、当時所謂バリバリの検事であった。
 取り調べの後、大谷検事は細山伯爵に対して言う。
 
「私としては今は何も云う必要はないと思いますが、一応あなたの御身分に対して好意的に申しましょう。問題は、あなたの云う通りだとして、果して法律上過失があるかないかということなんですよ。あなたのいうことがほんとかどうか不幸にして立証すべき何物もない。死人に口なしで相手は死んで居る。又第三者で見た者が一人もないのです。従って少くもあなたの云われることを嘘だと立証すべき事実がないのです。そこであなたの今までの供述に従えば御安心なさい、この事件は不起訴になります。私はこの事件を不起訴にすることにきめました」
 
 安心して帰ろうとする伯爵を呼び止め、さらに続ける。
 
「細山さん、事件は之ですんだのです。然し私は検事としてでなく、個人としてあなたと少しお話したいのですがね」
「伯爵、之は私が個人として云うことですよ。検事としていうべきことは終りました。だからもはや安心なさってよろしい。ただ私大谷一個人としてお話したいことがあるのです。」
 
 大谷検事は、昔の同僚で、今は探偵小説作家となっているという人物と話し合った仮説について話し始める。
 ある男が偶然に見せかけてある男を殺したこと。
 そして殺された男の兄がその復讐のため、やはり偶然に見せかけて犯人を殺すこと。
 大谷検事はうす気味悪い笑をたたえてドアを開け、伯爵細山宏は青ざめ、よろめきながら出て行く。
 
 ここまで読んだ読者は、大谷検事が話した空想話がこの事件の真相を明らかにしたものだと思う。まるで『刑事コロンボ』ですな。
 しかし私は思うのである。
 この大谷検事の態度、検事という職権を利用して細山伯爵をいたぶっているかの感がして、非常に嫌味に感じられるのである。
 ここまで推理を嫌味に語る探偵がいようか。嫌味な探偵のベスト10に入るのではないだろうか。
 その態度があまりに嫌味なので、もしかすると実は大谷検事が中条とつながりのある人物であった、という結末があるのでは、と予想したくらいである。
 
 しかしそれ以前に、この大谷検事のしていることは許されるものであろうか。検事としての立場を離れて、個人としての立場として前置きし、あなたが犯人である、と示唆するような話をするとは。
 しかも、友人であるという探偵小説作家と、事件について色々話し合い、不届きな空想をしている。職権乱用・公私混同・守秘義務違反も甚だしい。名誉毀損ものである。細山伯爵はこのような妄言には付き合わず、席を立てばよかったのではないか。
 
 例え心の中では怪しいと思っていても、大谷検事自身も言っているように、不起訴になったのならば心の中に閉まっておくべきではないか。個人的見解としてあなたが殺したのではないですか、と示唆するようなことをわざわざ付け加えるとは、検事のモラルとしていかがなものか。
 
 さて物語はその後、最後のどんでん返しが控えている。
 人間心理の不思議さが描かれている。
 この不思議な心理については、何とも言えない。実際に経験してみないと分からないものだろうが、経験したくないものである。
 ただ、自殺するにしても、他人の自動車に飛び込んで自殺するというのは迷惑な話である。飛び込まれた人の迷惑や罪悪感も考えよ、ということである。まあそこまで考えられないほど神経が衰弱するのだろうが。
 最後に疑問点を。殺害を決意した日にわざわざ新車に代えるのも不思議な気がする。普通なら殺害を意図しているのなら、殺害が終わるまで新車を買うのを控えると思うが。まあこの珠玉の名作に私ごときがケチつけるのは畏れ多いことではある。
 
 浜尾四郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書) 君らの魂を悪魔に売りつけよ―新青年傑作選 (角川文庫)
 日本探偵小説全集〈5〉浜尾四郎集 (創元推理文庫)
 博士邸の怪事件 (春陽文庫)
 殺人鬼 (Hayakawa pocket mystery books (195))
 
 前回甲賀三郎の『血液型殺人事件』の時、戦前の探偵小説の作者には理系の人が多いと書いたが、今回の浜尾四郎は法律関係の方である。
 法律関係の方が探偵小説を書くというのは、まさに専門家である。
 今回の作品でも大谷検事は、元同僚の探偵小説作家という人物を持ち出している。これは作者自身がモデルとなっているのだろう。
  
  
『彼は誰を殺したか』浜尾四郎・作
第1回 http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/l/0117001.html から
 第16回 http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/l/0117016.html
 
青空文庫 図書カード:No.1797 彼は誰を殺したか
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000289/card1797.html
Bun!Bun!STATION 彼は誰を殺したか
  http://bunbunstation.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/blog1_68d3.html
ナレーションしま専科 「彼は誰を殺したか」
  http://babyforest.cocolog-nifty.com/narration/2007/01/post_b32b.html
奈落の井戸 > 浜尾四郎研究所
  http://homepage1.nifty.com/mole-uni/menu/hamao_menu.html
ぐうたら雑記館 > 青空文庫ミステリツアー
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~takuma/essay/zassi_05.html
夢野久作をめぐる人々 浜尾四郎(はまお・しろう)
  http://www1.kcn.ne.jp/~orio/main/hamao.html
濱尾四郎 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B0%BE%E5%9B%9B%E9%83%8E

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