先日、ひかり速読法について書きました。
■[能力開発]ひかり速読法 http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20080609/p1
ネット上での需要に対して情報の供給が少ないようで、私のような弱小ブログでも検索上位に上がっているようで、ひかり速読法関連の検索で来られる方も多いようです。
そこで情報を追加しておきます。
この本には訓練用教材例として、トレーニングCDが付いています。
1 ゴン狐(前半) 音声×1.0倍 3分38秒
2 ゴン狐(前半) 音声×1.5倍 2分58秒
3 ゴン狐(前半) 音声×2.0倍 2分26秒
4 ゴン狐(前半) 音声×2.5倍 1分59秒
5〜8 ハイテンポ音 120テンポ〜300テンポ
例文として収録されているのは、小学校の国語の教科書に載っていた「ごんぎつね」に似ているのですが、微妙に違って違和感あります。何せタイトルが『ゴン狐』となっているし、登場する人物が「兵十」ではなく「平助」となっています。
調べてみると、「ごんぎつね」を書き直したもののようです。
「ごんぎつね」自体が小学校の国語の教科書に載るくらいなので美しい正確な日本語で書かれているし、そんなに難しい文章でもない。
あおぞら文庫に掲載されているので、著作権の問題もないはずです。
どう考えてもわざわざリライトする意義が見つかりません。何でわざわざ書き直したのか、理解に苦しむところです。
まあ考え方によっては、「ごんぎつね」マニアにとって、この違和感バージョンをコレクションに加えるのも面白いことかと。
検索すると、「ごんぎつね」は色々な挿絵入りのバージョンが発行されています。
私自身は国語の教科書に載っていた挿絵をおぼろげに覚えています。かすや昌宏という方が描かれていたようです。
新美南吉記念館ホームページ 南吉とわたし
http://www.nankichi.gr.jp/meisaku/kasuya.htm
ごんぎつね挿絵−かすや昌宏 画
http://www.yushu.co.jp/shop/g/g600970/
改めて青空文庫で原作を読んでみました。
狐のごんが人間のように考え、反省し、行動に表している。犬や猫ならあるかもしれませんが、野生の狐にそのような人間のような感情があるのかどうかという突っ込みが先に立ちました。
このように動物を人間と同じように描くことは、児童向け読み物やファンタジー物語に多いものです。
小学生時代には普通に受け入れて違和感なく読んでいたのに、今となっては率直に受け入れられなくなっている。
何と私の感受性は人生の荒波にさらされているうちに後退していたのだった。
たまにはこんな童話を読んで子ども時代の率直な感情を思い出すことも必要なものです。
「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。
原作の最後の部分。
多くの日本人に受け入れられている名作にケチをつけるようで申し訳ないのですが、最後にごんがうなずくという描写に違和感を感じました。
つまり、引用した部分の2行目が何だかくどくて甘く、省くと締りが出るような感じがするのです。
ちょっと書き込みすぎでは、と思えてきます。
しかし子どもを対象とした場合、この行があることで教訓や感動といったものを確実に付加しています。
大人が読む場合、あえて書かずに省略することで余韻を持たせることができます。
この2行目があるかないかが、童話と文学の違いとなるのではないでしょうか。
新美南吉「ごん狐」研究 (国語教育叢書)
『ごんぎつね』教材研究
http://www001.upp.so-net.ne.jp/bittervalley/jissen/gongitune_bunseki.html
wikipedia:ごん狐
(追記)
ごんぎつねで最後違うものがあると聞いたのですが本当にあるのでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324409083
↑ご紹介ありがとうございます。
永遠の破片 《勝手にラストを変えないで >_<。》
http://blog.livedoor.jp/xyzxyz4/archives/51056861.html
文章のヒント 新美南吉の「ごんぎつね」の原作と教科書版の違い
http://ameblo.jp/shigotobana/entry-10608388308.html
↑例の一文はいわくある一文だった。
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