書店では早くも第四巻まで出ているというのに、まだ第一巻を読み終えていません。
早く追いつかなければいけないのですが、それよりもまず、第一巻を読み終えることができるのでしょうか?
物語は、義勇軍を組織した劉備一行が大活躍したこともあり、黄巾賊もついに崩壊。
しかしその後も劉備一行に試練は続くのであった……。
P300)霊帝に諫言する張均。しかしこれは十常侍が仕組んだどっきりカメラだった!
死の原因は横山光輝版とは違います。
P321)張均の諫言の効果もあって、形ばかりの恩賞を与えられた劉備一行。
片田舎の一警察署長といったような、と説明されています。
しかし嫌味な督郵と張飛がトラブルを起こしたことにより、辞して再び放浪の身に。
今の世で例えると、折角就職した企業がどうしようもないブラック企業であって仕方なしに辞めた、というようなところか。
いつの世も腐敗した役人やブラックな連中がいるもので。
P344)劉備一行は張飛の紹介により、ひとまず劉恢の屋敷に逗留。
そこには芙蓉姫もいた。
しかし屋敷が巡察使の宿舎となることから、再び放浪の身となる劉備一行。
その後劉恢や芙蓉姫との再会はあるのか?
P352)劉備が家に帰ると、「何しに帰ってきたのか」と母親に叱られる。
「一人前になるまで帰ってくるな」
ということか。
私自身、なかなか就職が安定できなかった過去があり、というか、今でもまだ一人前になっていない。
わが身のことも思い出されてせつないシーンです。
(↑3月18日は355ページまで読みました。)
P362)物語初期の黄巾賊編でお馴染みの皇甫嵩&朱儁将軍。
黄巾賊平定の恩賞で官職に就きましたが、十常侍に尻尾を振らなかったため、官職を剥がされてしまいました。
(P361)一方、董卓将軍は、十常侍を買収して相当の官職を得たそうです。)
皇甫嵩&朱儁のお二方、吉川三国志では脇役ですが、史実では他にもエピソードがあるようです。
吉川三国志では出番は少ないのですが、初期に登場するので、途中で挫折した方にも知名度は抜群かと思われます。
意外と三国志の登場人物の中で知名度は上位にランクされるのかもしれません。
wikipedia:皇甫嵩
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9A%87%E7%94%AB%E5%B5%A9
wikipedia:朱儁
P374
十常侍、何太后、何進、袁紹による宮廷内のドタバタ勢力争いは、喜劇を見ているようです。
P383
何進に董卓の危険性を説く盧植。一時は左豊ににらまれて逮捕されましたが、左豊の失脚により復帰していたようです。
十常侍全盛の時代に悪役人の左豊が失脚し、盧植が復権したとは皮肉な現象です。
左豊は十常侍勢力とは別の存在だったのでしょうか。
wikipedia:盧植
P399
十常侍掃討騒動が終了し、幼帝も発見され、一同がやれやれと一息ついている時に現れた董卓。
一難去ってまた一難。
しかし、この時の董卓の押しの強さは圧倒的。袁紹ですら呆気に取られるほど。
黄巾賊に負けて劉備一向に助けられた初登場時は嫌味なだけだったのに。
悪役キャラも成長するようです。
ところで、何進暗殺→十常侍討伐 の一連の騒動時、曹操は目立った活躍はしていません。
宮中で懸命に(賢明なことです)火災の発生を防ぐ指揮をしている描写があり、何太后を奪還した盧植と遭遇する場面があります。
wikipedia:董卓
P403
何太后は幼い息子である帝と再開し、しばらく嗚咽にむせびます。
兄の何進が殺されたことについてはどう思っていたのでしょうか。
P407
自ら開いた宴会で、帝の交代を提案する董卓。
丁原、盧植が反対し、激怒する董卓を2回押し止める李儒。
この李儒という腹心、意外となかなかできる参謀ではないでしょうか。
もし李儒が曹操や劉備に仕えていたら、どのレベルの地位につくのでしょうか。
もし街亭の戦いで、馬謖の代わりに指揮官になっていたら、守りきっていたでしょうか。
wikipedia:丁原
wikipedia:李儒
P414
翌日、丁原の軍が董卓の陣を急襲。その日の戦いは丁原軍が勝利。
この時、丁原が袁紹や曹操、王允など反董卓派と連携して反董卓連合軍を結成して一気に片をつけていれば良かったのに。
丁原に李儒のような軍師がいなかったことが残念。
P416
「呂布さえ味方につければ」
と嘆く董卓に対し、呂布の幼なじみという李粛が献策する。
この李粛、董卓譜代の臣ではなく、中郎将という、官職の人のようだ。
こういった官職の人まで味方につけた董卓の権力は強大なものだ。
一地方豪族の丁原が勝つのは荷が重い。
やはり丁原は一人で動かず、反董卓連合軍を結成するべきだった。
P417
呂布の陣営を訪問する李粛。
丁原と呂布は別々にいるのか。
もし一緒にいたならどうなっていたであろうか。
P424
好漢、惜しむらくは眼前の慾望にくらんで、遂に、青雲の大志を踏み誤ってしまった。
P425
再び饗宴を開いて帝の交代を提案する董卓。
今回は丁原は無く、盧植は隠遁しており、呂布は董卓配下である。
反対したのは袁紹。反董卓派最後の砦だな。
しかし反董卓派は連携せずにバラバラで行動するから各個撃破されて大きな力になれないんだ。
もし袁紹が丁原の味方をして参戦していたら。
P430
退去した袁紹に追討軍を命じる董卓。
しかし、侍中の周ヒがそれを留める。
周ヒの意図は何だったのだろう。
真から董卓を思っての献策なのか、袁紹を思ってのことなのか、その折中なのか。
ともかく、李儒以外にもこのような献策を行う人物がいるとは、董卓政権もなかなかのものである。
wikipedia:周ヒ
P438
廃帝とその母・何太后を殺害する李儒。「もとより暴獣の爪のような男だ」「董卓に劣らぬ暴虐家だ」という記述があります。
軍師を項目ごとに採点するとしたら、「暴虐度」は上位に位置しそう。
但し、史実と演義は違うようですが。
wikipedia:李儒
P452
曹操の若い頃は鳳眼だ、ということで父親から可愛がられたという。
また、許子将という人物批評家に人相を見てもらって
「治世の能臣、乱世の姦雄だ」と言われたという。
三国志に見る人相術。
三国志に出てくる占い関係のエピソードを集めても面白そうだ。
P461
曹操が董卓を暗殺しようとしたその時、董卓にとめがられ、
「名刀を献上致します」。
この窮地での一瞬の切り返しがその後の歴史を変えた。
やはり大物は違う。
私ならやけくそになって遮二無二、董卓を切ろうとするだろう。
そこにやって来た呂布、いぶかしがりながら
「馬を見給え」
呂布は後に曹操との合戦に負けて処刑されます。
この時に呂布が余裕をもって曹操を逃がしたことがその後の歴史につながります。
まさに極限での命のやりとりですね。
(↑6月中旬、ようやく第1巻を読み終わりました。1冊読むのに3か月かかってしまった。
全巻読み終えるのは一体いつになるのだろうか?)
【吉川英治『三国志』新潮文庫版 についてつぶやいた】
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/archive?word=%2A%5B%BB%B0%B9%F1%BB%D6%5D
■[三国志]吉川三国志に挑戦するぞ!
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130205/p1
三国与太噺
『吉川三国志』桃園の巻 「昭和15年の序文」
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20130129
wikipedia:三国志 (吉川英治)
wikipedia:三国志
My三国志 http://my3594.net/
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