OLDIES 三丁目のブログ

森羅万象・魑魅魍魎を楽しみ・考える不定期連載ウェブログです。本日ものんびり開店休業中。

追われても追われても 高野長英


「どうだ……。これはむずかしい問題だぞ。とっくり考えてもらおう。」
「考えるまでもございません。ヒヨコの力が馬の五千分の一ならば、必要なのは五千ばです。」
「ちがう。」
「どこがまちがっているのでしょうか。」
「どこもかしこも大まちがいだ。ヒヨコはなん万ばおっても、馬車などをひくことはできん。ここに、ただあたまのなかだけのりくつと、ものごとの実際との大きなちがいがあるのだ。」


追われても追われても: 高野長英 (日本史の目 19) 
 志村武・著 佐伯安淡・絵
  日本史の目19 さ・え・ら書房
   1974年5月
  
 このところ集中的に読んでいるさえら書房の「日本史の目」シリーズから、高野長英伝。
 高野長英は岩手県出身。かなり辺鄙な地方出身だと思いきや、養父の玄斎は江戸で杉田玄白に学んだ立派な医学者で、その玄斎に鍛えられた長英はもともと高度な蘭医学の知識を持っていたそうです。
 それでも当時では江戸に出て学問を進めていくのは大変なことなのですが、強引に道を開拓していきます。
 江戸での学問修行先でも色々と悶着があって杉田伯元の杉田塾を追い出されたりしますが、最終的に吉田長淑に見込まれ成長していきます。
 この吉田長淑という方はあまり有名ではないのですが、立派な人物だったようです。
   

  
 その後長英はシーボルトに教わり尚歯会グループに入りいよいよ世に出て活躍するというところで、シーボルト事件や蛮社の獄が発生します。
 高野長英の厳しかった人生を描いた本書は長英の修行中の厳しい時代が終わるとすぐに蛮社の獄となり、逃亡時代に入ります。
 本作のタイトルは『追われても追われても』なのですが、本当に高野長英が追われずに活躍していた時代はほとんど描かれていません。
 長英の逃亡生活中、友人や弟子に助けられるのですが、その方々と知り合って交流していた時代や教えていた時代が抜け落ちています。
 まあそれだけ長英の人生が厳しかったということなのでしょう。
 
 
 
 長英は一流の知識人で、その著書や翻訳書は本当に役に立って幕府でも大いに読まれたそうです。
 そんなに有能ならば登用して活用するべきだと思うのですが、そうはいかない大人の事情があったのでしょう。それは長英にとっても幕府にとっても、そして日本国民にとっても不幸なことです。
 現代の日本でも、菅義偉による日本学術会議への弾圧以来、独裁的な政権による学問に対する統制が厳しくなっています。大学や博物館でも近視眼的に儲けることを強制しています。公立図書館でも司書の専門知識が軽視され、民営化が流行しています。
 学問は何のためにするのか、学問の本道とは何なのか。
 そのような問題意識を持つ時、江戸時代末期から明治維新にかけての蘭学者の活躍は非常に面白く、また学ぶ意義はあると思います。
 大河ドラマでも幕末や明治維新期はよくテーマになりますが、学者中心に描かれたことはまだないように思います。
 現代の人々は、この時代の先達を思い出し学んでいく必要があるのではないでしょうか。

 著者の志村武さんはなかなか味わいのある文章を書かれます。

「人生は石材である。これに神のすがたを彫刻するのも、悪魔のすがたを彫刻するのも、それぞれの人の自由である」
という文章を引用した数ページ後に
 
「幸運と不運は、人間という石をきざむために、自然(神)によってやとわれたふたりの彫刻師である。」といわれますが、このことばは長英にぴったりあてはまります。

と書かれています。
 著者のモノローグというか私見が時々挿入されるのですが、そんな部分が面白い。
(『三陸のむしろ旗 三閉伊一揆』https://diletanto.hateblo.jp/entry/2026/05/09/195220
の平野直さんもそうでした)

 この記事の冒頭に、長英と妻の遊幾との問答を引用しました。
 これと似たような問題は、石坂洋次郎の『青い山脈』(映画版でなく原作の小説版)でも出てきました。主人公と仲の良い兄貴分のガンちゃんが何度も持ち出す問題です。
 当時私が読んだ頃は頭でっかちの未熟者だったので、意味が良く分からず、何でこんなことを何度も話題にするのか不思議でした。
 しかしその後人間関係や社会の関係で色々と苦労をした現在、実感を持ってよく分かります。
(日本の政治が圧倒的多数を占める一般国民の望む方向に行かずにごく一部の与党特権階級のやりたい放題になり、何度選挙をやっても悪くなる一方ということもこの理屈です。)
 そしてこのエピソードは、本当に高野長英と妻の間であったエピソードなのでしょうか?
 それとも、筆者の志村さんが加えたオリジナルのエピソードなのでしょうか。
 そうだとしたら、馬とヒヨコの問題の出典は何なのでしょうか?石坂洋次郎の『青い山脈』が初出の出典となるのでしょうか?
 図書館司書のレファレンス事例になりそうな良きテーマです。

レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/

 本書あとがきでは、著者の志村武さんが本書を著すにあたって1974年に高野長英の故郷・水沢を訪れたことが書かれています。
 長英から数えて6代目の長洋氏には会えなかったが長洋氏の父上の長経氏やご家族に面会されたそうです。
 長経氏は現在よく普及している長英の肖像画を嫌っていて、本書には使用しないでほしい、と言われたそうです。
 なぜなら、46歳で亡くなった長英にしてはやせひからびた老人のように描かれていて、そんなはずはない、長英は堂々とした男ぶりだったはずだから!というのです。
 なるほど確かにそうです。
 そしてあとがきはこう結ばれています。

 高野長英は日本の国の、そして日本人全体の大恩人です。わたしたちはかれの思想や生きかたをくわしく知ることに心がけて、これからの日本の正しい前途をしっかり見きわめようではありませんか。
 なお、わたしが本書の著作にあたっていちばん参考にした本は、長経氏のおとうさんの高野長運氏が書かれた『高野長英伝』(岩波書店)です。いずれみなさんにもこの本をぜひ読んでもらいたいと思います。



●ブクログ https://booklog.jp/item/1/437802019X
●読書メーター https://bookmeter.com/books/3233026


高野長英
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E9%95%B7%E8%8B%B1

吉田長淑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%B7%91

尚歯会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%9A%E6%AD%AF%E4%BC%9A

蛮社の獄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%AE%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%8D%84


日本学術会議会員の任命問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E8%A1%93%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E5%93%A1%E3%81%AE%E4%BB%BB%E5%91%BD%E5%95%8F%E9%A1%8C


学研物語日本史9 ◆鎖国の窓 『風雲児たち』の時代
  https://diletanto.hateblo.jp/entry/2025/05/21/204257


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