ビーチャの学校生活 リアル生活的現実性と社会主義リアリズムの間
◆◇【少年少女世界の名作文学ブログ・完全版】◇◆
第13回配本 ビーチャの学校生活
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毎月1回を目標としているこのコーナー、3月号はまたまた遅れて月末の発行となります。
今回のテーマですが、既に学校から離れて縁がないにもかかわらず、入学シーズンにちなんで学校生活を扱った作品ということで。
学校生活といって私が連想したのはアミーチス『クオレ』とこの作品『ビーチャの学校生活』でした。
しかし『クオレ』はどちらかというと、始まりというより終わりのイメージが非常に強いのです。
それは、物語の最後の方、終業式の直前に『難破船』という非常にインパクトある物語が語られていることにあるのでしょう。
ということで終業式シーズンも過ぎ、入学式シーズンとなった今、『クオレ』ではなく『ビーチャの学校生活』を読んでみることにしました。
ニコライ・ニコライビッチ・ノーソフのこの作品、ビーチャという四年生の少年の1年間を描いています。
今でこそ忘れられている作品ですが、昔は小学校の図書館や児童図書館などでは普通に入っている必読書的存在でした。
現在アマゾンで調べてみると、今でこそ全て品切れになっていますが、複数の版が出てきます。
『ヴィーチャと学校友だち』福井研介訳、岩波少年文庫
『ビーチャといたずら友だち』昇隆一訳、国土社
『ビーチャと学校友だち』田中泰子訳、学研
『ビーチャと学校友だち』和久利誓一訳、ポプラ社
私がこの作品を読んだのは子ども時代ではなく、一度社会に出てうまくいかずに辞めてしまって就職浪人していた頃。近所の児童図書館で借りてきて自分にもこんな時代があったんだ、もう一度やり直したいなあ、と思いながら読んだものでした。
それは昇隆一訳の国土社版で、少年少女向け名作全集のうちの一冊でした。
私が今回読んだ小学館版の全集に入っていたのは、福井研介が訳したものを平塚武二が書き直したものとなっています。
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◆少年少女世界の名作文学37(名作文学50巻版)ソビエト編5(1967年)
◎ビーチャの学校生活 ニコライ・ニコラエビチ・ノーソフ原作
福井研介(訳) 平塚武二(文) 池田浩彰(絵)
◆少年少女世界の名作36(名作55巻版)ソビエト編3
『ビーチャの学校生活』が収録されているようですが、図書館にはないので詳細不明
◆カラー名作 少年少女世界の文学(文学30巻版)
収録なし
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あらすじはまあシンプルといえばシンプルで、最初はいたずら好きで勉強嫌いだった書き手のビーチャが心を入れ替え、悪友のシーシキンも改心させて2人揃って文武に奮闘し、五年生に進級する、というものです。
就職浪人中で不安だった私がいくらか勇気付けられたということからも分かるように、頑張れば報われるという少年ジャンプの標語(友情・努力・勝利だったか?)のような作品です。
えらく複雑化した現在、こんなシンプルなストーリーはどうなんでしょうか。子供向けマンガや小説のことは知りませんが、それより上の世代を対象にしたマンガや小説やドラマには、こんな単純明快な勧善懲悪なストーリーは少なくなっているように思うのですが。
そのような風潮に疲れた人にこそ、本書のような一昔前の古き良き少年少女向け物語をおすすめします。
さて物語最初の見所は、壁新聞騒動でしょう。これはビーチャがまだ改心していない勉強嫌いのイタズラ坊主だった頃のエピソードです。
ビーチャは勉強が嫌いで、宿題などはクラスメイトから写させてもらい、自分で考えてやろうとはしませんでした。
そのことをあてこすったマンガが、クラスの壁新聞に掲載されます。怒ったビーチャは新聞委員と交渉し、反省文を書くことで壁新聞を差し替えさせます。
ところが今度は悪友のシーシキンと共に国語で最低点を取り、またまた壁新聞のマンガに描かれます。
このエピソード、お話としては面白いのですが、現実にあるとしたら手放しで笑うのがためらわれるお話です。
確かに、宿題を自分でやらず人の宿題を写してばかりいる行為は問題です。
この事実を壁新聞で暴くのは、見方によれば悪を暴露するスクープです。
確かに、現実の社会では、悪を暴くジャーナリズム精神は必要なことです。
しかし学校の壁新聞レベルで正義を振りかざして宿題をしない生徒をあげつらうことは、一つ間違えば優等生ぶりが鼻につく行為であります。
さらに、最低点を取ったクラスメイトを茶化すようなマンガを壁新聞に載せるのは、まかり間違えば人倫の道を外す行為であります。
ただ新聞委員の連中は、正義感にかられて悪を暴くだとか、成績の悪い連中を馬鹿にしようというようなつもりではなく、単に一つのニュースとしてねたにしたという感じで、悪気は感じないのが救いです。
しかし悪気がない行為でも受け取る方が真剣に考えるということもあって、やはりそれは心配なのですが。
この壁新聞騒動では、当事者ではない他のクラスメイト達や上級生(ピオネールの隊長さん)や先生は、怠けている者の自業自得だということで、新聞委員達の肩をもちます。しかしマンガで当てこすられた者達を冷たく突き放すのではなく、今後は頑張って挽回せよ、と勇気づけます。こういった態度がこの物語の全体を貫いています。かなり優等生的・教訓的姿勢です。
こういった優等生的・教訓的・建て前的姿勢は、鼻につくとしらけてつまらなくなってしまうこともあります。
その逆に、優等生的・教訓的・建て前的姿勢を批判し、反優等生的立場・不良崇拝・建て前を嗤って本音むき出しの論調でいくと、かえって物語が面白くなる、ということもありえます。
最近のマンガやドラマなどにはそんな傾向がありますね。
例えば、先に挙げた壁新聞のエピソードを例にすると、壁新聞に悪口を書かれた不良生徒が壁新聞を書いた優等生に対して復讐する、というようなストーリーもありえます。
優等生的で勧善懲悪なストーリー
と
本音むき出しで露悪的ストーリー
のどちらが面白いか、受けるかということでしょう。
物語やドラマでどちらが支持されるかという話と、現実の世界でどちらが支持されるかという話もまた、違ってくるでしょう。
物語やドラマではなく、現実の学校生活で、日常生活で、政治や経済などの社会生活でどう行動するか、どちらを支持し、選択し、行動するか。
物語もリアルな生活も、優等生的態度と本音むき出しの態度のせめぎ合い。この2つの態度の間でバランスを取って行くことになるのでしょう。
(それにしても、プロレスで悪党軍団に人気がある傾向は困りものである。
これは蝶野のnWo以来の傾向か?)
さて、壁新聞騒動で懲りたビーチャは心を入れ替え、苦手な算数に挑みます。
算数の得意なアーリクに教わりに行くと、チェス好きのアーリクに、チェスの相手をさせられます。
やがては数学よりもチェスに熱中し、お父さんに教わったり本を見せてもらうなど、チェスの研究を重ねます。
その成果も出て、ついにはアーリクよりも強くなってしまいます。
何にせよ、熱中して上達するのはいいことです。
就職浪人中にこの本を読んだ時、思えば私は何に対しても中途半端だったなあ、もう一度やり直して何かを極めたいなあ、と思ったものです。
なお、私が読んだ昇隆一訳の国土社版では、“チェス”とは訳されずに、“将棋”となっていました。
子ども向けに分かりやすい“将棋”としたのでしょうが、ロシアで将棋はないだろうなあ、やはりこれはチェスだろうなあ、と思いながら読んでいました。
チェスに熱中したために算数がおろそかになったビーチャはチェスを封印。努力の甲斐あって成績が上がっていきます。
何か一つに自信をつければ、その自信が他のことをやる自信につながります。これを成功哲学で「勝ちぐせをつけよ」といいます。(それとは別に、囲碁や将棋は数学にいい、といいますね。)
改心して勤勉になったビーチャに対して、シーシキンは生活を改めようとはしません。
ついには親には内緒で学校をさぼることになります。
これではいけないと忠告するビーチャですが、聞き入れないシーシキン。
しかしシーシキンも心の中ではこれでいいとは思ってはいず、悩んでいるようです。
ただ、どうしても国語が苦手で、国語の授業のことを思うと学校に行けないのです。
文字が読めない頃から本が好きだった私は学校の授業でも文系科目の方が得意で、国語も得意でした。
しかし国語の授業やテストを教えよとか言われれば、困ると思います。
数学や理科などは順序立てて学べば何とかなるでしょうが、国語の授業やテストというのはある程度センスやカンの世界ではないでしょうか。
よく言われることですが、大学入試問題に作品を取り上げられた作家がその問題を解いてみても解答と違った、ということがままあります。
文学作品の鑑賞はある程度読み手の解釈に委ねられているということもあり、国語(特に現代文)のテストはなかなか難しいのではないでしょうか。
また、ある程度遅れてしまうと、いきなり学校に出て行っても授業が分かるはずありません。遅れを取り戻すには、相当の努力が必要です。
そういえば私は幼い頃から滅茶苦茶に運動のセンスがなかった。現在も少林寺拳法を習っていますが、普通の人には簡単にできることでも、運動センスのない私にはいくらやってもできないものです。どうやら普通の人の足を引っ張っているようで申し訳ない。
マイナスの状態から周りの人に追い着くのは相当大変です。
ということで、シーシキン君の試練は大変なものでしたが、やがて彼のずる休みは級友や先生にばれてしまいます。
反省したシーシキンはビーチャに教わって苦手な国語に取り組みます。
そしてビーチャとシーシキンは新設された学級文庫係になり、張り切ったシーシキンは責任感が出てきて本が好きになり、本をたくさん読むようになり……。
やがてバスケットボールクラブでも頭角を現し、文武にわたって躍進。絵に描いたような展開です。
物語の最後は、初めていい成績表をもらったシーシキンとビーチャが春の風にふかれての帰宅の途上、感慨にふけるシーン。当時のソビエトの学校は9月始まりということで、この時点での進級ではありませんが、やはりこういうシーンには春が似合う。4月始まりの日本人にとって印象に残るシーンです。
ロシア・ソビエト文学はちょっと馴染みがなく、異文化を垣間見たような読書体験でした。
例えば、物語中何度も出てくるテストの点数では、5点が最高点で、なぜか2点が最低点のようです。どんなに怠けても0点や1点は取らないようです。
また、ソビエトでは家の中はもとより寝室でも靴を履いているようで、ベッドには靴を脱いでから入るようです。
クラスメイトのお見舞いに慌てたシーシキンが靴を履いたままベッドに入るシーンがあります。
また、当時のソビエトにはピオネールという地区少年団の活動が活発だったらしく、ピオネールの隊長という頼もしい上級生がよく登場します。
自分にはこんな頼りになる上級生であった時代はあったのだろうか?と人生を振り返って反省しています。
ということで優等生的展開で安心して読める『ビーチャの学校生活』。
作者のノーソフには他に『ネズナイカ』『ぼくとわんぱくミーシカ』などがあるようです。
検索で発見したのですが、パルナスのイメージキャラクターがネズナイカのようです。
また、ミーシカの物語については、確か小学校時代、国語のテストの例文『ミーシカの電話』というタイトルで読んだことあるような気がします。
ミーシカが電話を分解して、直してからモールス信号を始めるというところだけ強く記憶に残っています。
さあ、4月から新学期が始まるよい子のみんなは、この本を読んでビーチャやシーシキンを見習って学問にスポーツに頑張ろう!……と言っても素直にその気になる子はいるのかな?(私は結構こういうの好きですが)
『ビーチャの学校生活』のストーリー展開について、アマゾンの『ビーチャと学校友だち (世界の名著 3)』の読者レビューで興味深い記述がありました。
この本にはすばらしい学校の話が書いてあるだけで、どうもどこかに実在したものとおもえないのです。
社会主義におけるりそうばかりを謳歌した芸術を「社会主義リアリズム」といいます。この本はその考えで書かれたものの一つです。
確かに、この物語の展開は理想的過ぎる感じもします。
リアル生活的現実性と社会主義リアリズムの間の間には、越えられない大きな溝があるように思われます。
社会主義リアリズム 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
しかし、こういった展開の物語を読むのも心地よいし、あっていいと思います。
逆に、現実の世界では許されないような人倫に外れる展開の物語も(子ども向けにはどうかと思うが)あっていいと思います(私はあまり好みませんが)。
現実の世界と物語の世界は違うことをはっきりと理解した上で物語の世界を楽しむ姿勢が必要ではないでしょうか。
∽∽∽☆∽∽∽★ ◇◇◇アカデミア 読書調査◇◇◇ ★∽∽∽☆∽∽∽8
日本人の読書体験を徹底調査!!……とは大袈裟な。
この作品の読書体験を問う!
☆ニコライ・ノーソフの『ヴィーチャと学校友だち』(『ビーチャといたずら友だち』)を読んだことがありますか。
ある (7票) 28%
ないが、タイトルは知っている (2票) 8%
ないし、タイトルも知らない (16票) 64%
その他 (0票) 0%
開始:2007年03月29日/締切:2007年04月06日18時
投票数:25票 コメント数:5件
協力:クリックアンケート http://clickenquete.com/a/m.php?M0000291C6303
☆コメントありがとうございます。☆
2007年03月30日19時43分05秒 お名前:tonya
小学時代に読みました。
挿絵も一緒に覚えています。
2007年03月30日20時00分21秒 お名前:へなへな
いとこにもらったハードカバーが子供の頃家にありました。
あれどこにいったんだろうな…。
それにしても懐かしい書名です。
2007年03月31日04時15分50秒 お名前:Mylene
小学校の国語の教科書にその一部が載っていた。●その他
2007年04月01日23時15分09秒 お名前:ひろき(H.O.)
ロシア語の文法も全然覚えられません。日本語版も見たことありません。
●ないし、タイトルも知らない
読んだことある方のコメントがコメント欄に寄せられました。
教科書にも採用されていたということで、一時は結構メジャーな作品だったのではないでしょうか。
児童文学にもはやりすたりがあり、栄枯盛衰なのでしょうか。
それにしても忘れ去られたままだというのも惜しい気がします。
当メルマガでは、こういった作品の掘り起こしもやっていきたいと思っております。
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