駅馬車 (漫画・世界名作ムービー)
『駅馬車』のテーマソング、小学5年か6年の音楽の教科書に載っていました。
希望載せて 馬車は行く
はるかな ふるさとを
夢見て 走れば
苦労など 何でもない
なかなかメルヘンチックな歌ですが、映画の方はむしろ先行き不安な色々な事情を抱えた人々が乗り合わせていました。
実はこの映画は中学生の頃、NHKで放映されたのを見たことあります。
その時はあまり面白さが分からず印象も残らなかったのですが、今回は面白く見られました。
ようやくこの映画の面白さが分かるように、少しは成長したということでしょうか。
これがジョン・ウェインか、貴族風で紳士的で二枚目だな、しかし顔が細長いな、と思っていたら、ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)さんでした。失礼。私の映画知識は所詮こんなもんです。
しかしよく分からなかったのは、
ブーン医師(トーマス・ミッチェル)とダラス(クレア・トレヴァー)がなぜ町を追い出されることになったのか、ということ。
ブーン先生が家賃を払えずに追い出されるのは分かるのですが、婦人連盟は家賃不払いの人を追い出す仕事までしているのでしょうか?
ダラスについては、娼婦だと示唆されているのですが、明確には記されていません。
こういう職業ははっきりとは記さないのだ、察しろ、空気読め、ということなのでしょうか。
しかしなぜか初対面のはずのルーシー(マロリー大尉夫人)(ルイーズ・プラット)が最初から軽蔑しているのが不思議です。一目で娼婦だと分かる目印でもあるのでしょうか?
しかし似た者同士であるはずの賭博師のハットフィールドまでダラスを差別しているのはひどい気がします。
「ジョン・フォード監督はこの映画の発想源はギ・ド・モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』だと語っており」
とウィキペディアに書かれているので、ダラスが娼婦だと考えるのが自然なのでしょうが。
乗客の意見を聞く際、レディーファーストだといって女性の意見を先に聞くのは洋画ならでのマナーですな。しかし御者・バックに対する扱いはひどい。レディーファーストが尊重されている一方で、職業差別なんじゃないですか?
ルーシー(マロリー大尉夫人)(ルイーズ・プラット)が最初から最後まで高慢な感じで、あまり親しみを感じませんでした。表情が不自然に固く、笑顔のシーンがありません。唯一、引き返す騎兵隊の隊長を見送るシーンが笑顔に近い。
そう考えると、笑顔でいることが他人に親しみを与える効果は大きいのだと思い知らされます。
私も普段から表情が硬くて笑顔がほとんどないので気を付けないと。
そのルーシーの護衛役を買って出たハットフィールド(ジョン・キャラダイン)さんですが、インディアンとの対決シーンでの笑顔が印象的でした。そんなに楽しいんか、と突っ込みたくなりました。
陽のリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)に対して陰のキャラで、リンゴのライバルとなって何かしでかすのかと期待してましたが、あまり見せ場がなく、唯一の犠牲者となってしまいました。
何だか駅馬車の乗員の中で、一番ストーリーに関係のない、いてもいなくても変わりがないキャラといった感もあります。
映画字幕ではなかったのですが、コミカライズ版では、ルーシーの父親の部下だった、ということになっています。
名家出身の軍人ながら賭博師に転落した男が昔の上官の娘の護衛に乗り合わせた、というのなら物語に登場した必然性もあるというものです。
負けを悟ってルーシーを安楽死させようとする寸前、弾が当たって死亡というのは彼らしい最後であり、救いではないでしょうか。
allcinemaに、素晴らしいレビューが掲載されていました。
担架
投稿者:o.o 投稿日:2007-03-26 01:28:06
大尉の妻ルーシーの行動にはかなり不可解なものがあると思います。まず、彼女は一度も生まれた赤ん坊を抱かないどころか、顔も見ませんでした。インディアンの襲撃の際にも赤ん坊をしっかり抱いているのはもう一人の女ダラスの方で、ルーシーは子供の事はすっかり関心外です。さらには、目的地に到着し、駅馬車を担架で降ろされるシーンで、「赤ちゃんは?」と他人に尋ねられて初めて、はっと我が子の事を思い出しています。彼女が生まれた子供に関心がないか、疎ましく思っているのは明らかではないでしょうか。護衛の騎兵隊が引き返すシーンでの、若い隊長との眼差しの交換が意味深です。
街から追放された女ダラスについては、正直自分は「商売女」だと頭から決め付けて見てしまいました。しかしよくよく考えてみると、そんな証拠はどこにもない。ただその身なりと、周囲の冷たい反応と、子供の頃身内が殺されて一人で生きてきたという身の上話を聞いて、彼女を追放した者達と同じく、勝手にそう思い込んだに過ぎません。「私達は社会的偏見の犠牲者なんだ」という酔いどれ医者のセリフがブーメランのようによみがえりました。また、ダラスのルーシーに対する、事情を知っているかのような微妙な態度も気になります。完全なる推測ですが、彼女は何らかの「濡れ衣」を着せられた存在ではなかったでしょうか、映画の中で、そして外でも。
そのダラスに加え、脱獄囚、アル中、臆病者、賭博師 (御者と保安官も入るかもしれません)、これらは皆、ひっくるめて言えば「敗北者達」であり、この映画が彼等に共感を寄せているのは明白です。逆にそうでない者達、つまり、名家の娘であるルーシーや銀行の頭取は「勝利者達」であって、彼等に潜む偽善と退廃が対比されていると思っています。さらに言えば、この「敗北者達」には、戦争に敗れ、汚名を着せられた「南部」が重ねられていることも、「賭博師」の行動を見れば分かります。すなわちこの映画は、「敗北者達 (=南部) の復権」がメイン テーマだというのが自分の解釈です。
(一見) 良心的な意見を吐き散らし、敗北者達を小突き回す「婦人矯風会」のような者達は、「アパッチより性悪」 (ダラスのセリフより)。同感した次第です。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2805#2
そんな見方があるのか、と脱帽。
また、マーク・レスターさん(ポータブルDVDによる車内鑑賞レビュー)の、妄想の世界に入って脇役を深く追求するという方法も面白いと思いました。
特に私はハットフィールドさんの存在意義についてよく分からなかったのですが、ハットフィールド理解の力となってくれました。
ポータブルDVDによる 車内鑑賞レビュー
完成! 「駅馬車」
http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-17.html
中谷彰宏さんが映画を2つに分けていました。
一つは、全てを説明して解釈の余地がない映画。
もう一つは、説明し切らずに、解釈の余地を残している映画。
色々と解釈・妄想することも、映画について語る楽しみではないでしょうか。
なお、コミカライズの解説には、テーマ曲「淋しい草原に埋めてくれるな」の原曲はアイルランド民謡で、それが伝わってカウボーイソングになっていった、と書かれています。
また、駅馬車の馬に飛び乗ってリンゴ・キッドに撃たれて落馬するインディアンを演じたのはヤキマ・カヌートという伝説的なスタントマンだ、という記述もあります。
本当にこんな危険なシーン、命がけですね。
カメラは起き上がるシーンまで映していました。2発も撃たれてるのだから、普通なら起き上がるのはあり得ないのですが、役者が死んでいないということを証明していたわけなんですね。
駅馬車(1939)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2805
wikipedia:駅馬車 (1939年の映画)
wikipedia:ジョン・キャラダイン
駅馬車
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%A7%85%E9%A6%AC%E8%BB%8A
DVD CINEMA SALON 漫画・世界名作ムービー
http://dvdcinemasalon.p2.weblife.me/pg505.html
駅馬車―西部小説ベスト8 (ハヤカワ文庫 NV 40)
ジョン・ウェインはなぜ死んだか (文春文庫)
ブクログ http://booklog.jp/item/1/4344950550
平成26年4月1日 消費税8%まであと何日? http://counting.hatelabo.jp/count/40440
平成27年10月1日 消費税10%まであと何日? http://counting.hatelabo.jp/count/72110
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