OLDIES 三丁目のブログ

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吉凶悔吝プロセスと原発問題

 超訳・易経  角川SSC新書  自分らしく生きるためのヒント 超訳・易経 角川SSC新書 自分らしく生きるためのヒント

 
超訳易経』を読んで易の思想や原発問題について考えてみました。
   
■[日々の哲学]超訳易経 天雷无妄から考える
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130718/p1
■[日々の哲学]易経で考える原発問題
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130719/p1

  
 易と原発問題について、再び考えてみたいと思います。

 易経の中では、吉凶の他に、「悔」「吝」「咎なし」があるといいます。
「吉凶悔吝咎なし」といって、未来の良し悪しを判断する言葉として使われているそうです。
「悔ゆることありて征けば吉なり」
「往けば吝なり」
などと使われる。
「吝」はけちる、恥ずかしいということ。
 人は驕りたかぶると、改めることや努力を惜しみ、けちるようになる。
「悔い改めることをけちるのです。」
 後悔する悔の方が吉に近く、吝は凶に近いものとされている、と説明されています。
 そして世の中の万物・人間の誰でもが吉凶悔吝は巡り、繰り返しているということです。
 
 この説明を読んで、まさに原発再稼働のことだと思いました。
 長くなりますが、本書から引用します。
 易経の考え方を分かりやすく解説した易経入門として素晴らしいテキストであるし、また、原発問題を考える上で非常に示唆に富む内容であります。

「いいことが長く続いていると、たいていのことはうまくいくと思って、多少問題が起きても「まあ、大丈夫だろう」と多くの人が高を括ります。そうしたことをくりかえすうちに、だんだん驕りも生じてきます。誰かが「それはいけない」「間違っていますよ」と忠告してくれたとしても、「大したことはない。いままでも私はこれでやってきた」と改めることを惜しみます。意地とプライドが邪魔をして、柔軟になることができない。改めるべきときに「ごめんなさい」がいえない。見てみない振りをする、見逃す。そういうことが積み重なっていくのです。
 凶という言葉は聞きたくないですし、誰でも目をそむけたくなるほど嫌なものです。さらに、自分には悪いことは起こらない、悪くなるはずがないと都合よく考えがちです。そういう思いからも吝になります。
 実は、こうした驕りや侮りは物事が順調にスラスラと通じる吉の時にすでに生じてきます。ところが吉の時というのは、しばらくの間は改めることを惜しんでもすべてが順調に通じていくので凶の兆しに気づきません。そして気づかないうちに生じた吝は、時間をかけてある一定の量が積もり積もったときに大きな過失や事故になってあらわれ、凶に至ります。」
   
「さて、私たちは吝が高じても凶にならないと後悔できません。凶になってはじめて、
「あのときに改めておけばよかった」
と後悔するのです。」
  
「一方、凶という状況を未然に察知して、「このままじゃいけない」と気づいて素早く改めたなら、災いには至らない咎なしになります。このように悔になれば、吉へ向かうわけですが、人はなかなかその後悔ができないものなのです。」
   
「「震(うご)きて咎なきものは悔に存す」と易経に書かれていますが、「震きて」とは、恐れ震(ふる)えるという意味です。背筋がブルブルッと震えるような思いをしないと、改めないものだというのですが、この震えが凶を吉に、あるいは凶に至る前に回避して咎なしに転換させます。なぜなら、震えることで感受性が回復するからです。驕り、惜しむのは感受性が鈍くなっているからで、悪いことばですが「平和ボケ」も感受性の問題です。」

  
 最後になぜか唐突に「平和ボケ」という言葉が否定的なニュアンスで出てきます。著者が基本的にはエスタブリッシュメント階層に属し、政治的には右に近く、リベラルな思想を冷淡に見ているのではと感じさせる記述なのですが、ややこしくなるのでこれ以上立ち入らず、原発問題について考えていきます。
    
 上に引用した説明文で、吉の時代に驕りや侮りが生じ、忠告されても見て見ないふりをする、改めない、という例が示されています。
 これはまさに原発安全神話そのものではないでしょうか。
   
 前回も紹介したのですが、原発安全神話の酷い例をしぶとく一つ挙げておきます。
  
ウィンザー通信
 「そうならないよう万全の態勢を整えているので何も考えていない」安倍晋三の空っぽぶり!ど〜ん!
    http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/0ef1e579e4884eb4076d2c5d529f0b43


 そしてこの驕りや侮りの原発安全神話は、積もり積もって大きな事故になってあらわれ、凶に至りました。

 引用した説明文では、怖い目に合って震えることで感受性が回復し、凶から吉に向かわせる、と書かれています。
 2011年3月11日、日本は大きく震え、日本中の人々が震えました。
 ここで「悔い改め」、行動を変えることが、凶から吉に向かう道だ、と易経は教えています。
 ところが、悔い改めることをけちり、「吝」の状態なのが原子力ムラなのです。
 その悪い例が、先にも挙げた安倍晋三首相で、原発再稼働を主張し、外国に原発を売り込みに行って「トップセールス」だと張り切っていますが、その実は「死の商人」なのです。
  
 易経に従えば、凶に至って恐れ震え、悔いることで吉に向かうことができるのです。
 ところが今の日本は、凶に至ってなお悔いず、「吝」の状態なのであります。
 これでは吉に向かうどころか、再び凶の事態に陥りかねません。
 易を学ぶ者にとって、非常に憂慮するべき事態であります。
  (続く)

  
 易経は世の中の理を説く思想です。
 今後は発言するプロレタリアート層も易経を学ぶ時代です。
 考え方の幅が広がり、説得力が増すはずです。
 右手に易経、左手にマルクス

易経から考える原発問題】
■[日々の哲学]超訳易経 天雷无妄から考える
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130718/p1
■[日々の哲学]易経で考える原発問題
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130719/p1
■[日々の哲学]吉凶悔吝プロセスと原発問題
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130805/p1
■[日々の哲学]「君子」「小人」と原発問題
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130808/p1
■[日々の哲学]脱原発は“天火同人”の精神で
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130811/p1


ウィンザー通信
 原発事故の悲劇を描いた映画は「客が入らんから」と、上映を拒否するクソったれな日本の映画館!
  http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/553e7a2d181ce3512afbdba10b1609a8
「『朝日のあたる家』は今、日本人が観なければならない作品です!」by 愛知県コロナシネマワールド
  http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/e8851ca6a22409daadbc1c79da00edf1


参院選後の日本の民主政治を占う』
【31 沢山咸 二六 そのふくらはぎに感ず。凶。】
  http://iching.seesaa.net/article/369316478.html
参院選後の日本の経済を占う』
【29 坎為水 三爻 来たるも之くも坎坎。】
  http://iching.seesaa.net/article/369320101.html
参院選後の雇用環境を占う』
【63 水火既済 六爻  其の首を濡らす。あやうし。】
  http://iching.seesaa.net/article/369324051.html

■[憲法]2013年の日本で始まった「ピロピロ」!
  http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130804/p1

         
     
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