OLDIES 三丁目のブログ
— 三丁目の書生(20世紀少年少女SFクラブ) (@aryamashoukai) 2024年3月31日
“解釈と誤読の線引き”
https://t.co/Pduh6MPqZW
文章を書いても筆者の意図を離れて読まれることもあるらしい。
それは面白いことでもあるし、恐ろしいことでもある。
どこまでが読者による解釈として許されるか、どこからが誤読になるのか。
その線引きが難しい。
(富永京子のモジモジ系時評)
「筆者の考えは?」本人が解いてみると
https://www.asahi.com/articles/DA3S15855605.html
>ある中学校の入試に自分の著書が出題されたときのことを思い出す。早速過去問を入手して解き、予備校の提供する模範解答で答え合わせをしたところ「筆者がこのように考えるのはなぜか」という問題を筆者自身が間違えてしまった。
模範解答を読み、私は納得するとともに感動した。なぜ感動したのか。入試問題は本の一部によるため、同じ文章でも、本全体の中で読むのとはおのずと異なる含意をもつ。また本書において、私はそれぞれの語を社会学や社会運動論の概念定義に従って用いたが、模範解答や出題文を作った人はそれらの単語に異なる意味を与えただろう。こうした要素の一つひとつが、「筆者の考え」を可塑(かそ)的で広大な世界にいざなう。その営みを、問題や模範解答を作成した人々、受験した何百人の人々、本を読む何万人の人々が行い、「筆者の考え」が無限の膨らみを持つとすれば、書き手として不思議な昂(たか)ぶりを感じずにいられない。
>本の「正しさ」は筆者ただ一人に帰属すると考える書き手もいるのだろうが、私は文脈によって何重にも変化する「正しさ」や、書き手の元の意図を離れて広がるテクストの豊かさを喜んで享受する。
>『リヴァイアサンと空気ポンプ』という本がある。空気ポンプを通じた実験により知識を生み出した科学者ボイルと、実験という営みそのものに疑いを持った哲学者ホッブズの論争を分析した科学史の大著だ。
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文章を書いても筆者の意図を離れて読まれることもあるらしい。
それは面白いことでもあるし、恐ろしいことでもある。
どこまでが読者による解釈として許されるか、どこからが誤読になるのか。
その線引きが難しい。
受験生の感性やイメージを点数化するのはやはり問題ではないだろうか
https://diletanto.hateblo.jp/entry/2021/07/03/123029
「仮面ライダー」原作マンガ版とヒーローの条件
/小説の入試問題
https://yorodzu.seesaa.net/article/482300342.html
ラベル / 学問
https://yorodzu.seesaa.net/tag/articles/%8Aw%96%E2
陰謀論の判断基準
https://yorodzu.seesaa.net/article/502494308.html
「陰謀論」の線引き基準
https://yorodzu.seesaa.net/article/502051969.html
ラベル / 陰謀論
https://yorodzu.seesaa.net/tag/articles/%89A%96d%98_
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