住民らが守った大分・臼杵
— 三丁目の書生(20世紀少年少女SFクラブ) (@aryamashoukai) 2024年11月9日
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>かつて反公害で闘った人さえ、地域経済の衰退を受けて「臼杵にも大企業があった方が良かったかもしれん」と漏らすようになった。後藤さんもそういう声があるのは分かる。だから「やせ我慢をして町を守ってきたんです」
(Another Note)
時流に迎合せず「待ち残し」、住民らが守った大分・臼杵 大鹿靖明
https://www.asahi.com/articles/DA3S16014038.html
町はかくして守られた、大分・臼杵にみる「待ち残し」の妙
https://www.asahi.com/articles/ASS8F0J7QS8FULFA00YM.html
>海を埋め立ててセメント工場が造られようとしたのを、漁民たちの、特に留守を預かる女たちが立ち上がって阻止したのだ。ノンフィクション作家の松下竜一さんが1972年、「風成の女たち」として記録したことで知られる。公害が発生する前に食い止めようとしたことで「公害予防闘争」と言われた。
>漁民たちに当時の革新勢力と地元企業が「保革共闘」したのが闘争の勝因だろう。かくして海は守られた。
>かつて反公害闘争のリーダーだった後藤国利さんは「町づくりは待ち残し」と語る。県議会議員の後、市長を3期務めた。市長時代は民間企業並みのバランスシート(貸借対照表)を作り、財政再建に取り組んだことで知られる。その彼は「町残し」をあえて「待ち残し」と表現する。
>かつて反公害で闘った人さえ、地域経済の衰退を受けて「臼杵にも大企業があった方が良かったかもしれん」と漏らすようになった。後藤さんもそういう声があるのは分かる。だから「やせ我慢をして町を守ってきたんです」と苦笑する。
>妻陽子さん(84)は臼杵城の前で土産店「かぼす工房」を営む。かぼすの皮で作った細い棒のような、お菓子を売っている。口に含むと、かぼすの香りが広がる。「黄柑棒」と書いて「きかんぼう」と読む。なるほど、臼杵の町は時流や権力に迎合しない「きかん坊」たちに守られてきたと思い知った。
海の民の倫理に学ぶ 原発拒んだ和歌山の浜
https://diletanto.hateblo.jp/entry/20110604/p1
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