OLDIES 三丁目のブログ

森羅万象・魑魅魍魎を楽しみ・考える不定期連載ウェブログです。本日ものんびり開店休業中。

正解のない問題〜野球・人生・選択・多様性

 お門違いのようだが、珍しく野球のことについて書く。
 中日ドラゴンズの53年ぶり日本一、おめでとうございます。
 休日前の夜ということもあり、日本ブログ村中日ドラゴンズサブカテの新着記事を順に読んで優勝のお祝い気分に浸っていた。
   
 にほんブログ村 中日ドラゴンズ 人気ランキング
   http://baseball.blogmura.com/dragons/
 
 その中で幾つかの記事が、落合采配に賛否両論だとか、批判されているという話題を取り上げていた。
  
徒然なるままに〜スポーツ観戦記〜 山井交代の采配について賛否両論?!
「結局のところ、中日中心に考えているドラゴンズファンは日本一が見たいから継投容認が多く、どちらが勝とうが関係ない他10球団ファンや単なる野球ファンは空前絶後の記録が見たいと思った人が多かったのだろう。」
  http://blog.livedoor.jp/cdragons_sov/archives/50763064.html
 
Pushpin Diary(L.J.Style Book) 世論は、どちら?
「単純な讀賣ファンは「オレなら投げさせた」とみんな言う。
一人だけでしたね。
「落合スゴい、原にはそういう才覚がない」といった人間は。」
  http://liberajoy.exblog.jp/7656210/
 
落合采配は立派でした http://plaza.rakuten.co.jp/talks/diary/200711020002/
読売の負け惜しみ http://plaza.rakuten.co.jp/talks/diary/200711020001/
歴史的な勝利から一夜明けて…  http://doaramania.blog91.fc2.com/blog-entry-364.html
「言いたい人には言わせておけばいい」落合采配見事でした!
  http://plaza.rakuten.co.jp/kurara77/diary/200711020000/
あなたならどっち? 日本シリーズの「継投完全試合
  http://blog.livedoor.jp/katsu_1001/archives/64837246.html
 
なかなか考えさせられた問題だったので、珍しく野球について書いてみる気になった。
 
 物事には、正解がある問題と、正解がない問題があるのである。
 正解がない問題について、自分の思うようにならなかったからといって否定するのはいかがなものかと。
 やくみつる氏の例がよく挙がっているので例に取ると、明らかに反則行為があったボクシングについては批判されて当然である。
 しかし今回の問題は、反則があったわけでもなく、あくまでルールに則って決断された野球の戦略上の問題である。
 亀田ボクサーの時のように一方的に批判するような問題ではない。 
 確かに記録が達成されれば快挙である。 しかし、このまま続投させるか、継投させるかという究極の選択が訪れ、どのように決断し、その後どのような結末を迎えるか。もし逆の決断を行っていればどのような結末が訪れたか……。
 そのドラマチックな過程を楽しむこと自体がゲームを楽しむことなのではないのか。
 
 この試合の展開そのものが素晴らしいものではなかったか。そして、監督論やマネジメント力、野球や人生について色々と考えさせられるものとなったではないか。
 
 ドラマは一通りではないのである。
 
○山井投手が続投し、勝つドラマ
○山井投手が続投し、負けるドラマ
 
もドラマである。落合采配を批判する人達は、これだけが正解だと思い込んでいるのである。
 しかし、ドラマはこれだけではない。
  
○岩瀬投手に継投し、勝つドラマ
○岩瀬投手に継投し、負けるドラマ
 
 なぜこれが不正解だと決め付けられるのだろうか。
 どれが正解で、どれが不正解だと誰が決め付けられるのか。
 運命がどのドラマを選ぼうとも、我々は、そのドラマを楽しむことができ、学ぶことができる。
 そして今回はこのような決断がされ、このような結末となった。
 しかし別の決断がされ、別の結末を迎える可能性もあった。
 例えどういった決断がされ、どういった結末を迎えようとも、素晴らしい試合であったことは間違いないし、どの結末からも学ぶことができる。
 当事者が下した決断について、他人が批判すべき問題ではなかろう。
 それは、野球だけではなく、人生全般に渡って言えることではなかろうか。
   
 この素晴らしい試合に対して、結末に対して、さも重大な反則行為かのようにあれこれとケチをつけ、非難するというのは、お門違いではなかろうか。それは自分の考え方が唯一絶対の正しい考えであると思い込んだ狭い了見ではなかろうか。
 確かに、続投するべきだという意見はあっていい。しかし継投するべきだという意見もあっていいのである。
 他人に自分の意見を強制し、思い通りにならなかったからといって批判するのはおかしなことである。
 
 ファンを冒涜だとか野球人気の低下につながるとかいう意見もあるが、自分の思う唯一絶対の正解を取らないからと言って特定の監督を批判するような狭い了見こそ、ファンを冒涜したり、野球人気の低下につながる行為なのではなかろうか。
 もちろん、ルール破りだとか金と権力で勝とうとするのは許せないことであるが、ルールに基づいて多様な戦略や決断があり、見ている方も色々な考えが許される。この多様性を認め合ってこそ、野球人気につながるのである。
 
落合監督はピッチャーの経験ないからあういう行動に出たのか、1点差だったから岩瀬に任せると決めておったのか、どちらにしても勇気がいる」(星野仙一日本代表監督)
 ピッチャー出身の監督がいて捕手出身の監督がいて野手出身の監督がいて、色々な考え方をする監督がいるからこそ面白いのではなかろうか。
 
完全試合できてるピッチャーを9回(笑)んー、ピッチャー替えるっていうのは落合監督だけでしょう」
「10人の監督がいて、10人とも替えないでしょう。その辺が落合(博満)監督らしいといえばそれまでなんでしょうけど」(野村克也楽天監督)
 
 監督の10人中10人までが同じ考えをしていたら、それこそ野球がつまらなくなってしまうのではないか。
 色々な監督が色々な考えを持って多様な戦略を行ってこそ、野球が面白くなるのではなかろうか。
  
 監督の采配が自分の理想と違ったからといって、この素晴らしかったゲームにケチをつけることこそ、野球への冒涜であり、野球人気を減らす行為ではなかろうか。
 何で素晴らしい試合を称えようとせず、ケチをつけることに必死になるのか。それこそ生産性のない行為である。    
 そしてこれは、我々が人生全般に渡って直面する選択についても言えることなのである。
 我々は今後の人生の折々で色々な分岐点に直面するだろう。正解のない問題とも言え、どれを取っても正解とも言える問題。どの道を選ぼうとも後悔したくないものである。そしてその選択について、外部の人がとやかく批判するべきことではない。
 正解のない問題について、多様性が認められるべき問題について、自分の意見が唯一絶対の正しい意見であると思い込んで、思い通りの行動を取らない少数派に対して
 
「大部分の人もそう思っているはずだ
 大部分の人もそう思うべきだ
 空気読め」
 
と非難し、糾弾する。
 このようなことが広まれば、世間が世知辛くギスギスしてしまう。
 
「野球の最も美しいシーンが潰れた寂しさ悲しさ」
「でも中日ファンは喜んでるんやな。」
「スポーツまで世知辛くなった世の中ですから(笑)。」
と書いている方がおられる
玉木正之 http://www.tamakimasayuki.com/index.htm )
が、結果的に二人の継投で完全試合をすることになったことも美しい結果ではないか。何が美しくて何が美しくないか、基準は人によって違う。正解は一つではない。正解が複数あるとも言えるし、正解はないとも言える。自分の思い込みを絶対的だと信じて、素晴らしい試合にケチをつけている態度こそ「世知辛い」のではないか。
 世知辛いのは、試合の素晴らしさそっちのけで監督の采配について部外者が後からごちゃごちゃと文句を言うような風潮なのである。
  
 我々が選択すべき未来は、少数派を多数派の意見で叩くような未来ではなく、多様性を認め合う未来ではなかろうか。
 
「空気を読む」より大事な事  http://soretaka.exblog.jp/7657693/
……そもそも私は、「空気を読む」という言葉が嫌いだ。少数意見を圧殺しいじめやファシズムに通じる概念だ。
 
 わしは天邪鬼で、多数派に同調するのが嫌いである。だからプロ野球も、阪神ファンと巨人ファンの二大勢力のどちらにも与せず、中日ドラゴンズを贔屓にしているのである。もしわしが名古屋に生まれとったら中日ファンにはならず、阪神タイガースを応援しておったろう。「空気を読む」なんて行動には徹底的に反発したくなるのである。
  
■[余話・与太話]「泣いて馬謖を斬る」について
  http://d.hatena.ne.jp/makoto-jin-rei/20071103
■[雑記]泣いて馬謖を斬る? http://d.hatena.ne.jp/saba2004/20071103
「山井が落合監督やコーチの制止を振り切って続投し(そんなことできるのか?)、打たれて逆転負け、という状況だったら「泣いて馬謖を斬る」といえないこともないだろうけど、今回の使い方はやっぱりちがうんじゃないかなぁ。」
 ↑知事の言わんとするところは何となく分かるが、故事成語は正しく使おうということで。『三国志』が好きだから余計に気になる。
   
 




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