将門(加藤剛)が坂東に帰り、舞台は再び坂東に。
現代(放送当時)の将門生誕地の光景も入る。現在はどうなっているのでしょうか。
鹿島玄道(宍戸錠)がお出迎え。
玄道によると、将門の実家は平三郎将頼(高岡健二)が若いことをいいことに伯父達からいじめられていて生活が苦しいという。
玄道はそんな将門の国では盗賊をせずあこぎな伯父達の領地でやると言って去ります。
京の武蔵(太地喜和子)にしろ、藤原純友(緒形拳)にしろ、義賊を持ち上げるような発言が目立ちます。
当時は戦後民主主義が盛んでこういう言動がよく見られたのでしょうか。
現在はむしろ戦後民主主義について否定的な言動が受け、新自由主義や自己責任論が盛んです。
明らかに退化していると思います。
将門の母 正子(新珠三千代)は将門の突然の帰郷に驚くが、将門の心の傷を察して深くは追及しない。
これは気の毒なシーンです。
出世を望んで送り出した息子が出世せずに帰って来たのですから。
私も精神を病んで人生の前半は苦しい生活が続いたので身に沁みます。
ところで番組のクレジットでは「将門の母 正子」と表記されています。
「平正子」とは言わないのでしょうか。
女性は姓をつけないのでしょうか。
留守を預かっていた平三郎将頼(高岡健二)は伯父達の横暴を訴える。
平良将(小林桂樹)が若くして亡くなったために残された者は大変です。
年が明け、桜の季節に将門は平良兼(長門勇)に土地問題の話し合いに出かけます。
途中、沼で顔を洗っていると歌声がして若い女性達が船に乗って来ます。
このシチュエーション自体が驚きです。
昔の坂東ではこんな光景が見られたのですか。
沼が多くて船が移動手段だったのでしょうか。
時代が変われば生活も変わるものなんですね。
船には良子(真野響子)が載っていた。早速気の合った掛け合いが始まる。
京の貴子(吉永小百合)相手には奥手だった将門も良子とは自然に話せます。
元々気安い関係というのもあるのでしょうが、貴子相手に経験を積んだというのもあるのでしょう。
仕事も恋愛も人間関係も経験が必要だ。
良兼は、土地は将門が源扶(峰岸徹)とトラブルがあった時に源家に献上したと説明。
納得しない将門に、明日源家に行って説明してもらおうと強引に決める。
夫人を失った良兼は、源家の一の姫・詮子(星由里子)に恋愛感情を抱いているのであった。
良兼の家は、庭に池があるようだ。坂東の地は池が多かったのでしょうか。
その頃京の都では、貞盛(山口崇)が順調に出世し、貴子(吉永小百合)の家も暮らし向きは良くなっていた。
将門に対し未練がある貴子に対し貞盛は強引に迫る。
昔の作品ではこんな風に男が強引に押して女が従うシーンがありましたが、時代は変わりました。
こんなことが通用するのは貞盛のようにハンサムで出世している男に限ります。
ところで今回のサブタイトル「昿野の蝶」とは明らかに良子(真野響子)のことですね。
しかし何で「広野」と書かずに難しい「昿野」表記にしたのでしょうか。
その方が昔の坂東の田舎の感じが出るからか?
雑記帳
大河ドラマ『風と雲と虹と』第17回「曠野の蝶」
https://sicambre.at.webry.info/200911/article_24.html
戦国放題 こたつ城
「将門雑記(風と雲と虹と)」3(14~20)
http://kotatu.jp/hyo/sakuhin/masakadozakki/14-20.htm
風と雲と虹と 過去ログ
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毛利元就 過去ログ
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ツタヤ
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