OLDIES 三丁目のブログ

森羅万象・魑魅魍魎を楽しみ・考える不定期連載ウェブログです。本日ものんびり開店休業中。

かつて自由大学という場があった


学びに飢えた青年、自ら創った自由の大学 運動発祥の地、長野・上田
  https://www.asahi.com/articles/ASS716WBTS71UCVL00JM.html

(れきしあるき)自由大学運動発祥の地@長野・上田 社会参画へ、青年自ら学びの場
  https://www.asahi.com/articles/DA3S15973666.html

>上田自由大学である。高等教育の機会に恵まれなかった農村の青年たちが、自ら学びの場をつくり、働きながら学習した先駆的な取り組みだ。新潟や群馬などにも広がった自由大学運動発祥の地を訪ねた。

>上田自由大学の試みは評判となり、松本など県内だけでなく、新潟県の魚沼や八海、群馬にも自由大学ができた。

「ここには様々な運動があり、お互いに触発しあっていた。自由大学だけが突然、ぽっと生まれたわけではないんです」

>たとえば、普通選挙や軍備縮小を求めた「信濃黎明(れいめい)会」。民本主義を唱える吉野作造の黎明会に触発されて青年たちが結成した。あるいは地域の小学校に広がった「児童自由画運動」。画家山本鼎(かなえ)が提唱したもので、手本を模写する「臨画」と呼ばれる絵画教育を一新した。哲学を学ぶ会などもあり、こうした活動の数々に後に自由大学を担う青年たちが関わっていた。




「自由大学」100年、今問う「自己教育」 農村青年らが学問の場
  https://www.asahi.com/articles/ASQ5F73Q5Q56UOHB006.html

>長野大のある長野県上田市が自由大学発祥の地

>山越ら家業を継いだ若者たちは進学を断念せざるを得ない時代だった。「その悔しさと知的飢餓心のようなものが、この地での学びを深めていったのでは」と長島さん。加えて、「上からの押しつけ教育では社会はよくならないと考えていた杏村には、彼らの声を受け止める力量があった」とみる。

>著書は長島さんの15年超に及ぶ研究の集大成だが、自由大学の誕生から1世紀を経た現代の世界で、社会で、果たして「自己教育」は深化しているのだろうかという問いかけでもある。

#上田自由大学 #自由大学 #長島伸一




自由大学ができ1世紀、長野で考える 歴史に学ぶ必要性
  https://www.asahi.com/articles/ASP8G6V30P84UOOB004.html #知る戦争

「青壮年を中心にした地域民衆が生み出した、自己教育運動(生涯学習)。市民による学問創造の運動だった」

>当時の上田小県(ちいさがた)地域(1市30町村余り)では「青年らが新しいことを積極的に地域社会に入れようと動いていた」と小平さん。村ごとに青年団が新聞を出し、ありのままを表現する児童自由画運動、農民美術運動が展開され、小県哲学会が誕生した。

>さらに同年、自由大学が芽吹いた上田で「上小思想対策委員会」が結成された。上田市長を会長に小県町村会や警察、軍などで組織し、「赤化共産の排撃」が目的。「長野のナチス」とも言われ、地元紙は「全国初の組織で一般から非常に注目されている」と書いた。

>思想対策委には上田自由大学への参加者もいた。「大正デモクラシーを身につけ新しい教育・文化を発信した上田小県地域が、なぜ一転して言論や人権を弾圧する先鋒(せんぽう)を走ったのか。地域住民から異論の声が聞こえてこなかったのはなぜか」と小平さんは疑問を投げかける。


歴史は繰り返す。というか、権力は常に独裁に向かい、自由を弾圧しようとする。
国民が民主主義を理解して常に投票し権力を批判的に監視しなくては独裁に向かうのである。



      人気ブログランキング  人気ブログランキング
         ↑人気blogランキングにご協力お願いします。m(_ _)m     
      

 お読み頂きありがとうございます。
 ご意見ご感想・ブックマークなど頂けましたら励みになります。
 コメントやはてなスターもお待ちしております。m(_ _)m
(なお、当ブログはアフィリエイトを利用しています)