歴史秘話ヒストリア
第63回 “悪の華”は平安京の夜に開く
〜キケンな貴公子、藤原頼長〜
●本放送 平成23年 1月19日(水) 22:00〜22:43 総合 全国
●再放送 平成23年 1月26日(水) 8:15〜8:58 BS2 全国
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/74.html
あまり知られていないマイナーな藤原頼長がテーマだった。
なかなか興味深い人物だった。
藤原摂関家に生まれたが頼長が生まれた頃は落ちぶれていて父親は隠居生活。父は頼長に家の再興を託していたという。
官僚生活に入り、努力の甲斐あって出世。
入浴中も人を雇って本を読ませていたなんて、現在なら耳で聞くながら勉強だ。機器のない時代、人力で行っていたとはすごい。
やがて最高権力者である左大臣に就任。
ここまでの過程がどうだったのかにも興味がある。
ゴルバチョフも大統領就任まで爪を隠して色々苦労したと思われるが、それに似たようなことがあったかもしれない。
頼長は乱れた貴族政治の立て直しを図って律令政治の根本に戻ろうとするが抵抗勢力が強くてうまくいかない。
この辺の奮闘、徳川幕府の立て直しを図って家康政治の基本に戻ろうとした徳川吉宗や松平定信の改革、或いは貴族政治を復興しようとした後醍醐天皇の建武の中興にも似ている。
藤原頼長は高校日本史では習わないマイナーな人物だが、話を聞いてみると意外にも上のような改革者に準じる名政治家だったのだ。
また、唯我独尊の天才ということでは、空海や鎌倉新仏教の開祖なんかと共通点がある。政治の道に入らずに仏門に入っていれば新流派の開祖となっていたかも?
しかし頼長を快く思わない勢力が陰謀を企む。陰謀を悟った頼長は配下の武士を集めて保元の乱を起こすが敗北、死亡する。
頼長追い落とし勢力の中には、頼長の兄・忠通もいたそうである。
頼長の父親は忠通を差し置いて頼長を溺愛していたため、忠通との対立があったという。
頼長の父も家の再興を願うのなら、兄弟仲を裂いていてはいけない。一家の和を図ったうえでの家の再興でなければ。
頼長も家の再興だけにとどめていれば波風たたなかったのに、貴族政治全体の再興にまで手を広げたために多くの人の反感を買ってしまった。理想は良かったのだが、うまくいかないのが世の常である。
これだけ色々エピソードがある人物なのだから、左大臣になるまで何を思い、どう行動し、何を辛抱していたのか。志ある人物が権力を得るまでの過程がますます興味湧いてくる。
また、頼長の日記『台記』が残って伝えられている。敗者となり賊軍とされた頼長の日記が残っていたとは、どのようないきさつがあったのだろう。ウィキペディアには「自筆原本は失われて存在しない」とあるから、書写が親族や支持者によって保存されていたのだろうか。
現在のようにデジタル情報が簡単にコピーできる時代ではない時代、個人的な日記がどのように保存されていったのだろうか。
藤原頼長 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%A3%B8%B6%CD%EA%C4%B9
wikipedia:藤原頼長
wikipedia:保元の乱
藤原頼長 (人物叢書 新装版)
妖星源平記 1 (希望コミックス)
妖星源平記 2 (希望コミックス)
↑保元・平治の乱に始まる源平合戦を描く。
源為朝や平清盛らが活躍している。
藤原頼長は崇徳上皇の側近という描かれ方で、あまり活躍していない。
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